『ことわざの知恵』を読む(その9)

昨日の記事に引き続き、
『ことわざの知恵』(岩波新書)を取り上げる。

この本の88ページに、
「鳴く猫は鼠捕らず」や
「吠える犬は噛みつかぬ」といったことわざが登場する。

もともと、
猫はネズミを捕る、
犬は不審者を撃退する、というのが
本来の役割だったのだということを知らないと、
これらのことわざの本来の意味を
理解することはできないだろう。

「鳴く猫は鼠捕らず」というのは、
おそらく、
愛嬌のない(鳴かない)猫を飼ってしまった人への
慰めの言葉として機能していたのだと思う。
「まぁまぁ、
 たしかにこの猫は鳴かなくて、
 かわいくないかもしれないけど、
 『鳴く猫は鼠捕らず』って言うじゃないか」
という感じで使われたのだろう。

それに対して「吠える犬は噛みつかず」は、
おそらく、
頼もしい犬(吠える犬)を飼って浮かれている人に対して、
「おいおい、油断は禁物だぜ。
 『吠える犬は噛みつかぬ』って言うじゃないか」
と、諌めるためのことわざだったのだ。

しかし、時代の価値観は
確実に移り変わっている。
今ではこれらのことわざは、
字義通りの意味で理解して、
慰められたり気を引き締めたりするのは難しい。

今、家で飼っているペットの猫が、
どこかから鼠をくわえて やってきたりしたら、
僕なら正直ぞっとする。
「鳴く猫は鼠捕らず」なんて言われたら、
「あぁ、うちの猫は『鳴く猫』でよかった」
と思うだろう。

また、「吠える犬」や「噛みつく犬」も
はっきり言ってお断りしたい。
さっきの例とは逆に、
運悪く「吠える犬」を飼ってしまった場合、
「まぁまぁ、『吠える犬は噛みつかぬ』って言うじゃないか」
と言われると、
あっさり慰められてしまうかもしれない。

これらのことわざは今後、
本来の意味で生き残ることは難しいと思われる。
だが、
本来の意味とは全然別の意味のことわざとして
生き続けることはあるかもしれない。

それは、好ましくない事態なのだろうか。
僕は必ずしもそうは思わない。
ことわざは庶民の知恵なのであって、
さかしらな学者の所有物では決してない。
時代によって、
また場面によって、
融通無碍に形を変えて使われてゆくところにこそ
ことわざのおもしろさがあるのだから。


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by imadegawatuusin | 2005-02-06 18:27 | 日本語論