――
『じゅもんをあげるよ』という 『ことばのパズル もじぴったん』という コンピューターゲームの 作られた 歌だ。 ゲームクリエイターである 曲は その のち、 『 コンピューターゲームに 出てくる この 歌を 歌ったことに 広く 世の中に 知られることになった↓。 【ニコニコ動画】 https://www.nicovideo.jp/watch/sm32703590 【歌詞】 http://j-lyric.net/artist/a0500f2/l01c457.html 曲の きわめて 歌詞も すこぶる 素晴らしい。 この 歌の 歌詞は 全て そのため ややもすると、 あたかも さながら 子供が お遊びで 作ったもののごとき 取るに 足りない 歌にすぎないと 思われてしまうかもしれない。 けれども この 歌においては、 いにしえから 用いてきた、 「 「起承転結」とは、 次のごとき すなわち、 1つ目の ある 物事について 書き起こしてから( 2つ目の 句においては 1つ目の 句の 流れを そのまま けれども 3つ目の 句においては 目を 他のものに 移したり、 それまでとは 流れの 異なる 事を 言ったりして 詩 そのものの 流れを ガラリと きり変え( そして その 末に 4つ目の 句において 全てを まとめて 結び こうして 見事な 詩を 作る 技が すなわち、 「起承転結」なのである。 この 「起承転結」が うまく 用いられている、 我が 国における 詩としては、 「 この 「私と小鳥と鈴と」という 詩は、 近代・大正時代の 作った ものだ。 わたしが両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥はわたしのように、 わたしがからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴はわたしのように たくさんな歌は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それからわたし、 みんなちがって、みんないい。(金子みすゞ『さみしい王女/新装版 金子みすゞ全集・Ⅲ』第145葉[ページ]、表記は 現在のものに 酒井が 修正) 「わたしが両手をひろげても、」と 書き起こし(起)、 第2行目においては その 流れを そのまま 素直に 受ける 形で、 「お空はちっとも飛べないが、」と、 第1行目の ただし、 その あとに 「が」という、 次に 来る それまでの 流れからは 述べるであろうということを あらかじめ 告げ知らせた あとに、 はたして 第3行目に おいては、 「飛べる小鳥はわたしのように、」と、 目を 「わたし」から 「小鳥」に 移して それまでの 詩の 流れを ガラリと きり変え(転)、 そして その 末に 第4行目において、 「 第1連を まとめて 結ぶのである(結)。 第2連目の 4行においても、 第1行目にて、 「わたしがからだをゆすっても、」と 書き起こし(起)、 第2行目においては その 流れを そのまま 素直に 受ける 形で、 「きれいな音は出ないけど、」と、 第1行目の 主格語である 「わたし」について ただし、 その 終わりに 「けど」という、 逆接を 表す 接続助詞を 添えることによって、 次に 来る 節においては、 それまでの 流れからは 述べるであろうということを あらかじめ 告げ知らせた あとに、 はたして 第3行目においては、 「あの鳴る鈴はわたしのように」と、 目を 「わたし」から 「鈴」に 移して それまでの 詩の 流れを ガラリと きり変え(転)、 そして その 末に 第4行目において、 「たくさんな歌は知らないよ。」と、 第2連を まとめて 結ぶのだ(結)。 第3連目は 2行である。 けれども、 これを 仮に 4つの まとまりに 切り分けるとするならば すなわち、 けだし 「鈴と、小鳥と、」というところ および 「それからわたし、」というところ、 並びに 「みんなちがって、」というところ および 「みんないい。」というところに 切り分けられることであろう。 1つ目の まとまりにおいて 「鈴と、小鳥と、」と 書き起こし(起)、 2つ目の まとまりにおいては その 流れを そのまま 素直に 受ける かたちで 「それからわたし、」と そして、 3つ目の まとまりにおいては 物事を 並べるのを ついに やめ、 上の 2つの まとまりとは 違い、 「みんなちがって、」と その 詩の 流れを 移し変え(転)、 4つ目の まとまりにおいて、 「みんないい。」と すべてを 結ぶことになる(結)。 そして、 第1連目と 第2連目とは 見事な 「対句」と なっている。 「対句」とは、 互いに 互いの これ また 詩を 作る 上における 技である。 第1連目と 第2連目は、 第1行目が 共に 「わたしが~を~(し)ても、」という形であり、 第2行目も 「~は~けど(又は 『が』)」、 3行目も 「~はわたしのように」で、 4行目は 「~を(又は 『は』)~ない」という かたちになっている。 そして、 『じゅもんをあげるよ』の 場合にも、 この 「起承転結」と 「対句」との 2つの 技が 見事に 用いられているのである。 まず 初めの、 「いじ・いじ ひとりぼっち あれ・これ なやむけれど しゃに・むに がんばるきみは ぴか・ぴか ひかってる」という 第1連目について 述べる。 それぞれの 行の 頭の ところには 全て、 「いじ・いじ」・「あれ・これ」・ 「しゃに・むに」・「ぴか・ぴか」という 2 そして、 第1行目で 「いじ・いじ ひとりぼっち」と 後ろ向きに 歌の言葉を 書き起こした あと(起)、 第2行目においては その 後ろ向きな 流れを そのまま 素直に 受ける かたちで、 「あれ・これ なやむけれど」と、 重ねて 加える(承)。 ただし、 その 終わりに 「けれど」という、 逆接を 表す 接続助詞を 添えることに よって、 次に 来る 節においては それまでの (後ろ向きな)流れからは 外れた 事柄を 述べるであろうということを あらかじめ 告げ知らせておいた あと、 はたして 第3行目においては、 「しゃに・むに がんばるきみは」と、 一転して 前向きな 言葉に ガラリと きり変わり(転)、 おしまいに 第4行目において、 「ぴか・ぴか ひかってる」と 第1連目を 明るく 結んで 締めくくる(結)。 同じ 事は けだし、 第4連目(2番の 1連目)である、 「とぼ・とぼ かえったみちも めそ・めそ ないたみちも いっぽ・いっぽ ふみだすきみは きら・きら ひかってる」というところについても 言えるだろう。 第1行目 および 第2行目 並びに 第4行目の 頭には、 「とぼ・とぼ」「めそ・めそ」・「きら・きら」と、 それぞれ 2音節の 擬態語が 繰り返し 使われており、 見事な 対句と なっている。 第3行目の 頭にだけ、 「いっぽ・いっぽ」と、 3音節の 名詞( 繰り返し 使われているのは きっと、 この 第3行目は 「転」の 行であるため、 変化を 持たせたかったからに 違い無い。 第1行目と 第2行目とは 終わりのところも、 共に 「~(し)たみちも」という 同じ これ また 対句と なっている。 そして 何より、 第1行目で、 「とぼ・とぼ かえったみちも」と 後ろ向きに 歌詞を 書き起こした あと(起)、 第2行目では その 後ろ向きな 流れを そのまま 素直に 受ける かたちで、 「めそ・めそ ないたみちも」と、 重ねて 加える(承)。 けれども 第3行目に 入るや いなや、 「いっぽ・いっぽ ふみだすきみは」と、 一転して 前向きな 言葉に ガラリと きり変わり(転)、 おしまいに 第4行目において、 「きら・きら ひかってる」と 第4連目を 明るく まとめて 結び、 締めくくるのだ(結)。 (ちなみに、 第1連目 の 第3行目 および 第4行目と、 第4連目[2番の 第1連目]の 同じく第3行目 および 第4行目とも また、 どちらも 「……きみは [擬態語]・[擬態語] ひかってる」と なっており、 見事な 対句を なしている)。 他には 第3連目についても これ また、 「はしれ すすめ ゆうきだして」(起) 「やっちゃった でもね くじけないで」(承) 「わっはっは そうさ えがおみせてよ」(転) 「なみだ なんて ばいばばいさ」(結) と、 「起承転結」であると 見ることが できる。 なぜかと いうと、 第1行目と 第2行目とが、 「はしれ すすめ ゆうきだして やっちゃった でもね くじけないで」と、 まがりなりにも 日本語として 素直に 言葉が 流れている 中において (言い換えると、 第2行目は 第1行目を うまく 受けているのに 比べ)、 第3行目は いきなり 「わっはっは」という 日本語が ここで ブツリと 切れて、 歌詞の 流れが ガラリと きり変わっているからである。 (詩において こうした 言葉の ブツ切りによる 切り変えが うまくいっていることを その 詩に 「キレが 有る」と 言う。 [「キレ」の例:「キレ」の ところを 「/」にて 示す。 けれども 第4行目は 、 「(そうさ えがおみせてよ) なみだ なんて ばいばばいさ」と、 第3行目の 終わりから これ また 第3連目を まとめて 結び 締めくくっている。 更に、 第6連目(2番の 第3連目)も また、 「すべって ころんで べそかいても」(起) 「なんちゃって ほらね りょうてでぴーす」(承) 「あっはっは そうさ げんきみせてよ」(転) 「まえを むいて ごーごごーさ」(結) と、 「起承転結」を なしていると 見うるであろう (第1行目と 第2行目とは 「すべって ころんで べそかいても なんちゃって ほらね りょうてでぴーす」と 日本語が 素直に 続いているけれども、 1つの 文が ここにおいて 終わる。 そして 第3行目の 新しい 文は、 いきなり 「あっはっは」という 擬音語にて 始まっているのだ。 日本語が 第2行目と 第3行目との 間において ブツリと 切れて、 第3行目において 言葉の 流れが ガラリと きり変わっていることは 明らかであるといえるだろう。 そして 第4行目は、 「(そうさ げんきみせてよ) まえをむいて ごーごごーさ」と、 3行目の 終わりのところから ふたたび 滑らかに 言葉が 続き、 この 一連を まとめて 結んでいる)。 また、 終わりに 在る 第9連目も これ また、 「ゆくぞ やるぞ うでをふって」(起) 「やったった ほらね ゆめはかなうさ」(承) 「らっぱっぱ ららら うたをうたおう」(転) 「きみの ふぁいと しんじてる」(結) と 、 やはり 「起承転結」なのである。 こうして 述べてきた 通り、 『じゅもんをあげるよ』の 歌詞においては 「起承転結」という 技が そして、 曲の 側に 目を 向けると、 「序破急」という、 わが国において 音楽や 踊りなどにおいて 古代から よく 用いられてきた 形式が 用いられているのが 分かるはずだ。 「 その 歌や 踊りの 始めに 在る、 真っすぐに、かつ 素直に その 歌や 踊りの 在りのままの 姿を 明らかにする 滑らかな 楽章の 続く 「 「 細やかに みせる しっとりとした 楽章の そして おしまいの 部分に あたる 「 もって 見る者・聴く者の 目や 耳を 驚かせて 最も 生き生きとして 華の 有る 楽章の この歌の 「1番」で 言うと すなわち、 第1楽章目(「いじ・いじ~ひかってる」)が、 真っすぐで かつ 素直な、 滑らかな 調べである 「序」であるといえる。 次に、 いきなり 細やかで しっとりとした 柔らかい 調べに 変わる 第2楽章目 (「ぼくの すきなことば~さみしくないさ」)が 、 「破」であるといえるだろう。 そして、 言葉の 速さが いきなり 早くなり、 激しく たたみかけるように 歌われる 第3楽章目(「はしれ すすめ~ばいばばいさ」)が、 最も 生き生きとして 華の 有る 「急」なのである。 この 3つの 楽章は、 楽曲的には すべて 8小節で、 長さは 全く 同じである。 よって、 その 同じ 8小節の うちに どれだけの 詰め込まれているかを 調べれば、 すなわち、 3つ目の 「急」の 楽章には いかに 多くの 「急」いで、 言葉を たたみかけるように 激しく 歌わなければならないかが よく 分かる。 この歌は すべて 平仮名に よって 書かれているので 音節数(声の 拍数)が 数えやすい。 「序」である 第1楽章目(「いじ・いじ~ひかってる」)の 音節数は 40個だ。 「破」である 第2楽章目 (「ぼくの すきなことば~さみしくないさ」)の 音節数は 42個である。 そして、 「急」である 第3楽章目 (「はしれ すすめ~ばいばばいさ」)には、 「序」や 「破」と 同じ 8小節の うちに、 実に 53個もの 音節が 詰め込まれている (「しゃ」・「じゅ」・「ちゃ」は 1音節として 数える)。 そうなると まことに 当たり前の 事として、 ここの ところを 歌うときの 言葉の 速さは どうしても 速くならざるをえない。 そして この 歌の 1番だけではなく、 2番も また、 「序破急」の かたちに 組み立てられている。 すなわち、 真っすぐで かつ 素直な 調べが 滑らかに 奏でられる、 「とぼ・とぼ かえったみちも~ きら・きら ひかってる」のところが 「序」である。 細やかで しっとりとした 柔らかい 調べに 変わる、 「きみの すきなことば さがしにいこう~ てとて それ ぴったんこ さあしゅっぱつだ」 のところが 「破」である。 そして、 言葉の 速さが いきなり 早くなり、 激しく たたみかけるように 歌われる、 「すべって ころんで べそかいても~ まえを むいて ごーごごーさ」のところが、 最も 生き生きと 歌われ 華の 有る 「急」なのである。 こうして 見てきた 通り、 この 『じゅもんをあげるよ』という 歌は、 歌詞においては 「起承転結」、 曲においては 「序破急」という、 見事に 用いて 作られているのだ。 ..... Ads by Excite 広告 .....
by imadegawatuusin
| 2016-05-08 11:22
| 音楽
|
自己紹介と連絡先
名前:酒井徹
生まれた日:昭和58(西暦1983)年8月22日 世わい:40歳 住みか:〒454-0013 日本国愛知県名古屋市中川区八熊一丁目12番6号 明治第4ビルディング205号 電話番号:070-4531-5528 電子郵件宛先:sakaitooru19830822@gmail.com ミニブログ(微網誌):https://twitter.com/SAKAI_Tooru カテゴリ
政治 国際 経済 労働運動 人権 男女共同参画 差別問題 環境 暮らし家庭 文化 文芸 漫画・アニメ 音楽 日本語論 日本語辞書 歴史 弁証法的唯物論 倫理 宗教 仏教 儒教 キリスト教 そう鬱病者の五行日記 雑記帳 その他 記事ランキング
検索
以前の記事
2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 04月 2023年 03月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2019年 12月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 04月 2017年 04月 2017年 03月 2016年 07月 2016年 05月 2016年 04月 2015年 12月 2015年 05月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 06月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 07月 2004年 05月 2004年 02月 2004年 01月 2003年 08月 2003年 02月 2002年 12月 2002年 11月 2002年 10月 2002年 09月 2002年 08月 |
ファン申請 |
||