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『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その4)

■神がだれかに試練を与えることは本当にないのか
またこの本の10ページには、
「神が……だれかに試練を与えること」は「ない」と断言されている(本書1章7節)。
しかし果たしてそうだろうか。

アブラハムが神に、
息子・イサクをささげる話はどうなったのだろうか(創世22章1~19節)。

神はこのとき間違いなく、
「アブラハムを試され」ているのである(創世22章1節)。
神はアブラハムに、
彼の「独り子」、つまり最も愛する息子であるイサクを「焼き尽く」し、
自分への「献げ物としてささげ」るよう命令したのだ(創世22章2節)。

彼が自分の息子をも神に惜しまずささげようとしたのを見て、
神ははじめてアブラハムが
「神を畏れる者であることが……分かった」という(創世:22章12節)。
(そもそもこれも、
 「全知全能」の神さまにしては
 かなりおかしな行動であるが)。

これでもはたして、
「神が……だれかに試練を与えること」は「ない」と
言えるのだろうか。

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by imadegawatuusin | 2006-07-05 18:16 | キリスト教