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『「心がボロボロ」がスーッとラクになる本』を薦める

――めばつらい気持きもちがえてココロかるくなる名著めいちょ――

精神科医せいしんかい水島広子氏ミズシマヒロコしココロいやかたやさしくおしえる

ココロが ボロボロに なりそうな ヒト
ココロが ボロボロに なって なおろうとしている ヒト
かり
とじほん[とじまき]を ただ ひとつだけ すすめうるとする。
かりし そういうことが るならば ワタシは、
水島ミズサワ=広子ヒロコさんが いた
『「(ココロ)がボロボロ」がスーッとラクになる(ほん)』を すすめる。
なぜなら この とじほんは、
やさしい 言葉ことば使つかって ココロが ボロボロな 人人ひとびといや
すぐれた おしえとを そなえた
きわめて 出来できの いい ほんだからだ。
すなわち
『「(ココロ)がボロボロ」がスーッとラクになる(ホン)』は まさに
ココロが ボロボロな ヒトもっとはじめに るべき
見事みごとな とじほんなのである。
ゆえに、
この とじほん
あまりにも おおみすぎるとか、
またかんがえすぎるとかいうことなどは、
ハッキリ って まず りえない。
うのも この とじほんは、
これに したしめば すなわち したしむほどに
ますます ふかく、
より よく あじわえることに なる
真事まことに すごい ほんだからだ。
って、
ココロが ボロボロに なった 人人ひとびとは すべからく
この とじほんごとの ココロかてとして
じっくりと あじわいつつ
よく かんがえながら むべきだ。
ココロが ボロボロに なった だれもが、
日日ひび この ほんむことで、
たとえて えば きな ものこのむくらいに
この ほんしたしむに いたってほしい。
この とじほんの キャッチコピー[うたい文句もんく]には
わく、
「つらい気持(きも)ちが(き)えていく、
 すっきり(ココロ)(かる)くなる」と しかじか (か)いてある。
この とじほんいた 水島ミズシマ=広子ヒロコさんは、
ココロやまいいやして なお仕事しごと
なりわいとして もっぱにな精神科医せいしんかい(くす)だ。
そして、
その まぎれもかしてられている
ココロやまいなおかたである 「対人関係療法たいじんかんけいりょうほう」についての
クニ きっての くろうとだ。

すべてのストレスをくしくせるわけではないが……

そもそも、
なかには つらい コトどもや くるしい コトどもが
ものすごく おおい。
そして、
そうした つらさや くるしさを
ヒトのこらず くせるなどとは
この とじほんまったわない。
けれども、
そうした つらさや くるしさを
らす』ことなら 出来できるのだと
この とじほんうのである。

■あなたをくるしめるのはパワハラ上司じょうし罵倒ばとう『だけ』? 

たとえば かりに、
仕事場しごとばにおいて
よわものイジメを つねとする 上役うわやくうえもの]に
ののしりたおされたとする。
たしかに、
イヤってしまったことは 目違まちがい。
ただし、
かならずしも
 ただに 上役うわやくの ののしり「そのもの」だけが
 その ヒトココロ
 ボロボロにするわけではない』などとの むねコト
この ほんう。
たとえ おなじく ののしられても、
「あの 上司じょうし ヒドいな。
 キミ苦労くろうするよね」と ってくれる 仲間なかま
まわりに 場合ばあいない 場合ばあいとが る。
そうした 仲間なかままわりに るか ないかに より、
たとえ おなじく ココロキズっても、
それで ココロむか どうかには
おおきな ちがいが るのである。
ただに 上役うわやくの ののしり『そのもの』だけが
ヒトココロを ボロボロにするのではないという コト
この コトに よっても あきらかである。

なげくるしみ『つづける』ココロはあなたがみずかつくったものだ

上役うわやくから ののしられた ときつよ衝撃しょうげきけるのは、
ヒトという ものまれつき そなわった
たりまえの はたらきであり、
どうしようも い。
ただし、である。
それを けて、
自分じぶん否定ひていされた!」とか、
自分じぶん攻撃こうげきされた!」とか、
だれ自分じぶんのことを かってくれない!」などと
ヒトなげく。
けれども、
その コト幾度いくたびおもかえして なげくるしみつづける チカラ
みずからの ココロなかにおいて されるものだ。
それは まさに、
よわものイジメを つねとする 上役うわやく
ののしり『そのもの』とは
けて かんがえるべきものなのである。
そして、
ヒトみずからを め、
ココロむしばんでいく 道筋みちすじにおいては、
みずからの ココロしている
そうした チカラおおきく ひびくのである。

■ストレスは、そのストレス『だけ』で沢山タクサンだ! 

もっとも、
だからといって その 上役うわやく
うべき つみから まぬがれうるわけではない。
わく、
騒音(そうおん)がどこまでいっても騒音(そうおん)であるのと(おな)じように、
 その(暴力的ぼうりょくてき態度たいどをとられたことの)
 ストレスだけはなくすことができませんが、
 反対(はんたい)(い)うと、
 そのストレス『だけ』に(へ)らすことは目標(もくひょう)にできる」と
しかじか この とじほんう。

くるしみはくせないが、それを『ただのくるしみ』に! 

しも ひとが つらい おもいを したのならば、
そのうえ さらみずからを いためつけなくても かまわない。
幾度いくたびも その コトおもかえして、
そのたびハラてたり、
みずからを めたりして
ますます みずからを くるしめつづけなくても よいのだ。
おもうに これは、
仏教ぶっきょう[のりのみち]にも 似通にかよかんがかたではないだろうか。
仏教ぶっきょうにおいては わく、
人生じんせいである』などと おしえている。
けれども 仏教ぶっきょうわく、
『その くるしみは さとりを ひらくことに よって
 「ただの くるしみ」になら えうるのだ』などとも
おしえているのだ。
仏教ぶっきょうわく、
ヒトろしく
 「くるしみ」を 「ただの くるしみ」と おもいなして
 るがままに れるべきだ。
 もっとも、
 たとえ ヒトが そう しても、
 それに よって くるしみそのものが
 えて くなるわけではない。
 けれども、
 「くるしみ」を 「ただの くるしみ」として れれば
 すなわち、
 さらなる くるしみは これを あじわわなくて む』などと
仏教ぶっきょうく。

過去かこでも未来みらいでもない『いまこのとき』を丁寧ていねいきろ! 

この とじほんまた
まだ てもいない これからの 先先さきざき
いまから おもわずらって、
そうした おもわずらいに
みずからを られてしまうことを いましめる。
さらに この とじほんは、
これまでに もう んでしまった かた
幾度いくたびアタマなかおもかえして
みずからを あまりに つづけすぎることをも いましめる。
そうではなくて この ほんは、
まえいま この とき」にこそ けて、
そこに 木目細きめこまかく ココロくばりながら きていこうと
すすめるのだ。
おもうに、
こうした かんがかたもまた、
上座部じょうざぶ南伝なんでん仏教ぶっきょうゼンじょう)の おしえに
似通にかようものが るのではないか。

やすらかにきるためのすぐれたがかりがまる必読書ひつどくしょ

この ほんえた ヒトは、
おなじく 水島ミズシマ=広子ヒロコさんが いた
『なんだか「毎日(まいにち)しんどい…」がスッキリ!(は)れる(ほん)
をも んでほしい。
そして、
それをも えた ヒトさらに、
水島ミズシマ=広子ヒロコさんが いた
『すべての「イライラ」をっこからほん』をも
んでほしい。
なぜなら、
それらの どの とじほんどもにも、
わたしたちが 心安ココロやすらかに きていくための
すぐれた がかりが 沢山タクサン まっているからである。

自分じぶんしんじよ! 


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by imadegawatuusin | 2017-03-31 20:43 | 倫理
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