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『ことばはちからダ!』(河合出版)について(その1)

■知ったら、変わらなければならない
本書『ことばはちからダ!』は、
大学受験用の現代文の用語集だ。
「あるテーマに関する用語を解説するだけでなく、
 入試評論文の著名人がどのような主張をしているかにも
 触れている」として、
受験技術評論家の和田秀樹さんも薦めている。

この本の18ページには、
科学史家の村上陽一郎の次の一文が載っている。

歴史的驚きの発見は、
(文化人類学的驚きの発見が、
 共時的に在共する異文化との接触による
 自己の解体に連なるのと同じように、)
継時的に存在する異文化との接触による
自己の解体作業に連なるのだ、と言うことができよう。

文化人類学型にせよ、
歴史研究型にせよ、
いずれの場合にも、
時間軸の違いこそあれ、
結局は、
知的営為が、
自己の確認と自己の解体ということを
目指しているのであるとすれば、
多かれ少なかれすべての学問は、
これと同じ構造をもっていると言えるのではないだろうか。(『自己の解体と変革』)


要するに、
学問は自分を変える、
自己変革は学問からということか。

上の文について本書は、
よりわかりやすい表現で、
19ページで次のように説明している。

「文化人類学」は、
「同じ時間」=「共時」……の中で、
空間として違う場所の、
つまり異地域の「異文化」に出会って、
単にその文化の不思議さに驚くだけでなく、
自分の中の文化や、
(こんな文化の無い)自分とは何かを発見して、
自分を変えていくものです。
それに対して、
「歴史学」は、
場所は同じでも、
「過去」=「継時」=「違う時間」の中の異文化と出会って、
自己を変化させるというわけで、
構造は、
軸の違いをのぞけば、
同じであるというわけです。


人間は、知ったら変わらなければならない。
ときどき、自分が同性愛者であることをカミングアウトされた人が、
「お前が同性愛者でも、俺たちの関係は変わらないよ」などという人がいる。
おそらく善意から出た言葉であることには疑いないが、
僕はこれはちょっと違うのではないかと思っている。
何も変わらないのであれば、
はじめからカミングアウトする必要など無いわけだ。
その人は、
自分たちの関係の何かを変えてゆきたいと思ったからこそ、
勇気を振り絞ってカミングアウトしたのではないのか。

それなのに、二人の関係が本当に「何も変わらな」くて、
カミングアウトされた側が相変わらず
テレビのいわゆる「ホモネタ」を見たときに
彼の前でも無遠慮にせせら笑っていたり、
仲間内で同性愛者に対する侮蔑的な言動を改めようとはしなかったとすれば、
それはものすごく失礼なことだと僕は思う。

知ることは変わることにつながるし、
変わることにつながらなければ
その知識はきっと本物ではない。
少なくとも、僕はそう、信じている。

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『ことばはちからダ!』(河合出版)について(その2)

by imadegawatuusin | 2006-08-02 14:33 | 日本語論