人気ブログランキング |

『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その11)

■神の創造物がなぜ自ら「悪魔」となったのか
本書28ページ(3章5節)で、
次のような疑問が提示されている。

エホバの創造物はすべて完全なのですから,
だれがこの「悪魔」を,
つまり「サタン」をつくったのか,という疑問が生じます。
簡単に言えば,
神の霊の子たちのひとりが自ら悪魔になったのです。
どうしてそんなことが起こるのでしょうか。


この疑問に対して、本書は次のように答えている。

以前は正直で立派だった人が泥棒になることは
今でもあります。
なぜそうなるのでしょうか。
人は,
心の中で悪い欲望が強まっているのに,
それを放っておくことがあります。
欲してはならないものについて考え続けるなら,
悪い欲望は非常に強くなるでしょう。
そして,
機会が訪れると,
以前から抱いていたその悪い欲望に駆られて
行動を起こすかもしれません。―ヤコブ1:13‐15。

悪魔サタンの場合がそうでした。(本書3章5~6節)


しかしこのような答えでは、
冒頭の疑問に充分に答えているとは
僕にはどうしても思えない。

確かに、
「以前は正直で立派だった人が泥棒になることは
 今でもあ」る。
それは本書も言うとおり、
表面的には「正直で立派」な人であっても、
「心の中で悪い欲望が強まっている」ことがあり、
「機会が訪れると,
 以前から抱いていたその悪い欲望に駆られて
 行動を起こす」ことがあるからだ。

しかし、真に
「エホバの創造物はすべて完全」なのであれば、
人であれ、神の霊の子であれ、
表面的にその行動において「正直で立派」であることはもちろん、
その心のあり方についても「完全」でなければならないのではないか。

イエスは、
単に表面的な行動だけではなく、
その心のあり方についても大切だとして、
次のように述べている。

あなた方も聞いているとおり、
昔の人は
『殺すな。人を殺したものは裁きを受ける』と
命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。(マタイ5章21~22節)


あなた方も聞いているとおり、
『姦淫するな』と命じられている。
しかし、
私は言っておく。
みだらな思いで他人の妻を見るものはだれでも、
すでに心の中でその女を犯したのである。(マタイ5章27~28節)


現代社会には既にさまざまな「悪」の要素があり、
人はそうしたさまざまな影響を受けながら自らを形成してゆくのであるから、
「以前は正直で立派だった人が泥棒になること」は
容易に起こりうるだろう。
だが、その一番初めの最初の堕落、
「すべて完全」な「エホバの創造物」に囲まれた
「神の霊の子たちのひとり」が「悪魔」になってしまったのはどうしてなのか。

「神の霊の子たちのひとりが自ら悪魔になった」のであれば、
「心の中で悪い欲望が強まっているのに,
 それを放ってお」き、
「欲してはならないものについて考え続」け、
「機会が訪れると,
 以前から抱いていたその悪い欲望に駆られて
 行動を起こ」してしまったのであれば、
そもそも その「神の霊の子たちのひとり」は、
「心の中で悪い欲望」を抱きうる存在、
つまり「罪の要素」を内包した存在として創造されたと
言わざるを得ないのではないか。

聖書において神は「全能者」である(黙示15章3節)。

『旧約聖書』の「イザヤ書」によれば、
神の計ることは「必ず成り」、
神が「定めることは必ず実現する」という(イザヤ14章24節)。
神は「初めから既に、先のことを告げ
まだ成らないことを、既に昔から約束して」おられるという(イザヤ46章10節)。

そのような「全能者」である神が、
どうして「心の中で悪い欲望」くような霊の子を創造してしまったのか。
それがやがては悪魔となり、
世界にさまざまな害悪を与えるような存在となることを予見できなかったのか。
それとも、それを予見できながら
あえてそのような存在を創造したのか。

この点は、聖書が抱える最も根本的な矛盾であると僕は思う。
しかし、本書がその疑問に充分な回答を与えているとは
僕にはどうしても思えない。

《戻る》
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その1)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その2)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その3)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その4)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その5)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その6)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その7)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その8)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その9)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その10)

《進む》
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その12)
『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その13)
by imadegawatuusin | 2006-08-07 16:32 | キリスト教