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『聖書の教え』(ものみの塔)を批判する(その12)

■「新しい地」とは「社会」のことか?
本書33ページには次のように書いてある。

聖書は次のことを保障しています。
「神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる
 新しい天と新しい地があります。
 そこには義が宿ります」。(ペテロ第二3:13。イザヤ65:17)
聖書に出てくる「地」は,
地上に住む人々を指すことがあります。(創世記11:1)
ですから,
義の「新しい地」とは,
神の是認を受ける人々で成る社会のことです。(本書3章15節)


これは非常に変な理屈である。
「聖書に出てくる『地』は,
 地上に住む人々を指すことがあ」るからといって、
どうして「ペトロの手紙 二」にある「義の『新しい地』」を、
「神の是認を受ける人々で成る社会のこと」と
断言できてしまうのだろうか。
「~は,~を指すことがあ」るというのは、
「そうでないこともある」ということを
大前提とした ものの言い方のはずである。

本書で引用されている「ペトロの手紙 二」3章13節の前節である
12節には次のように述べられている。

神の日の来るのを待ち望み、
また、
それが来るのを早めるようにすべきです。
その日、
天は焼け崩れ、
自然界の諸要素は燃え尽き、
熔け去ることでしょう。(「ペトロの手紙 二」3章12節)


また、
本書で参照するように言われている「イザヤ書」65章17節には、
「見よ、
 わたしは新しい天と新しい地を創造する」とあるし、
詩編46章7節にも、
「神が御声を出されると、地は溶け去る」とある。

「ヨハネの黙示録」21章1節には、
「わたしはまた、
 新しい天と新しい地を見た。
 最初の天と最初の地は去っていき、
 もはや海もなくなった」と書いてある。
「新しい地」が神によって「創造」されたものであり、
「自然界の諸要素」が「燃え尽き、
熔け去」った後にやって来て、
そこには「もはや海もな」いというのである。
そうであればやはり、
ここでいう「新しい地」とは神によって新たに創造された、
文字通りの意味での「地」を意味していると
考える方が自然ではないか。

「創世記」11章1節のように、
全地が「同じ言葉を使って、
同じように話していた」とあるのであれば、
「地」が「言葉を使っ」たり「話し」たりするわけがないのであるから、
ここでいう「地」とは
「地上に住む人々を指」していると解釈するのが妥当である。
しかし、
「自然界の諸要素」が「燃え尽き、
熔け去」った後にやって来る、
神によって「創造」された「新しい地」というものを、
わざわざ
「神の是認を受ける人々で成る社会のこと」と解釈しなければならない必然性は
どこにあるのか。
僕には全くわからない。

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by imadegawatuusin | 2006-08-22 14:59 | キリスト教