人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『レイアース』はセカイ系か

――『まどか☆マギカ』も考察――
『レイアース』はセカイ系か_f0104415_16513154.jpeg
■「セカイ系」とは何か?

「セカイ系」とは(私の理解では)、
「思春期の『キミとボクの命運』が
 『社会』を介することなく
 そのまま『世界の命運』に直結する……という型の
 物語
 (世界の狭い少年少女の自意識の話が、
  そのまま世界の命運と結びついてしまうような
  お話)」みたいなニュアンスで
語られる言端だ。
具体的には、
1995~1996年のテレビアニメ・
『新世紀エヴァンゲリオン』以降の、
高橋しん『最終兵器彼女』(1999年~)や、
秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』(2001年~)、
新海誠『ほしのこえ』(2002年)などが
挙げられる。
1997年の『少女革命ウテナ』も
「セカイ系」の作品だったのではないか。
 
■CLAMP『魔法騎士レイアース』
 
そして、
CLAMPの『魔法騎士レイアース』も
セカイ系でないかという話が有る。
この作品は
1993年から少女漫画雑誌・『なかよし』で始まった。
事実とすれば、
『新世紀エヴァンゲリオン』に先行する
「セカイ系作品」という事になる。
 
確かに この作品は、
世界構造としては
「セカイ系」のフォーマットを持ってはいる。
 
ただし、
『魔法騎士レイアース』の「キミ」は
エメロード姫だ。
そして「ボク」は神官ザガートだ。
 
私は先日、
「セカイ系」について語るツイキャスに
参加した。
その中で、
「君はみんなのために祈ってくれていますよ」
という言葉が出てきたが
(ここで言う「君」には「天皇」という含意が有る)、
エメロード姫は まさしく
「みんなのために祈」る使命を課せられた姫だ。
 
『魔法騎士レイアース』の異世界は
エメロード姫の「祈り」によって支えられている。
姫が
「『みんなのため』に祈ってくれてい」る故に
存続することが出来ている。
 
そんな世界で姫が
『みんな』のことを平等に大切に思えなくなったら
どうなるか。
たった一人の人を
『特別に』好きになったらどうなるか……。
 
エメロード姫は神官ザガートのことが
『特別に』好きになってしまった。
『みんな』を平等に思い、祈ることが
出来なくなった。
 
そうなれば、
「祈り」に支えられた世界は滅んでしまう。
世界を救うには姫自身が死ななければならない。
だが、
この世界の住人には、
世界の支柱である姫を殺すことは出来ない……。
 
『魔法騎士レイアース』でエメロード姫は、
「この『世界』を助けて……」と祈り、
異世界の戦士たち
(即ちこの物語の主人公・ヒカルたち)を
召還した
(「この『世界』を助けて」であり、
 「この『私』を助けて」ではない)。
異世界の戦士たちなら、
この世界の「柱」である自分をも殺し、
「この『世界』を」救うことが出来るからだ。
 
『魔法騎士レイアース』の主人公である
ヒカルたちは、
エメロード姫を殺すことによって、
「この『世界』を」救うことになる。
 
私が『魔法騎士レイアース』を、
「天皇制を描いた物語」だと感じてきたのは
この事による。
「天皇はみんなのために祈ってくれている、
 この国は天皇の祈りに支えられている」
という「神話」を『文字通りに』真に受けてしまうと
どういう事が起こるかというのを示して見せた
作品なのだ。
 
そして『魔法騎士レイアース』は、
エメロード姫が神官ザガートに寄せる思いが
そのまま世界の命運に直結する
「君と僕」の物語だ。
……が、
主人公・ヒカルは
その「君」でも「僕」でもなかったのだ。
 
私は、
『魔法騎士レイアース』を「セカイ系」と見ることに
慎重だ。
主人公が「セカイ」から
文字通り疎外されていたからだ
(そしてそんな、
 「セカイ系世界」の悲劇の反省の上に立ち、
 その異世界を「社会系」に変えていく話が
 続編の『レイアース2』となる)。
 
■『魔法少女まどか☆まどか』
『レイアース』はセカイ系か_f0104415_16583380.png
私は、
テレビアニメ・
『魔法少女まどか☆まどか』についても
「セカイ系」と見ることには慎重だ。
 
『魔法少女まどか☆まどか』は初め、
鹿目まどかの視点で進行するが、
途中で一度、
暁美ほむらの視点に転換する。
ほむらにとって大切な人は「まどかしか居ない」が、
まどかにとってほむらは
「大切な友達の一人」でしかない。
 
ほむらをこの物語の主人公と見るならば
確かに「キミとボクの物語」に見えなくもない。
が、
まどかから見れば ほむらのその思いは
かなり一方的なものにしか見えないことも、
このアニメを序盤から見てきた者には明らかだ。
 
何より、
「世界を救う」決断を下すのは
「ボク」である ほむらではない。
「キミ」である まどかの方なのである。
 
そしてここで重要な事は、
『魔法少女まどか☆マギカ』における
まどかの最後の決断は、
その時間軸における
まどかと ほむらとの関係性には
『あまり基づいていない』ということだ。
 
「ボク=ほむら」には、
世界に対する決定権は無い。
世界は、
ほむらのまどかへの思いや
ほむらとまどかの関係性とは
『無関係に救われてしまう』。
これでは、
セカイ系とは言い難いのではないかと思うのである。
 
 
【参考記事】



by imadegawatuusin | 2022-02-08 16:59 | 漫画・アニメ
<< 愛知春闘共闘:トヨタ総行動 日蓮宗系諸教団の系統分類 >>