ーー五月革命先導 第4インター活動家ーー
◾️ライバル党派からも惜しむ声
第四インターナショナル
(言わゆる「統一書記局派」)の指導者で、
フランス五月革命の闘士として名高い
アラン=クリヴィーヌが
3月12日にパリで亡くなった。
私がこれを知ったのは、
第4インターでなく、
トニー=クリフ派トロツキストの
「国際社会主義傾向」のサイトでだった↓。
アラン=クリヴィーヌについての
>意見の違いにもかかわらず、
>私たちは よく共に働いた。
>我々は、
>ヨーロッパの生命力として
>革命的社会主義をよみがえらせる道を
>先導した件で、
>アランや彼の同志に借りが有る。
主張が違い組織が別れても、
一致点では共闘し、
相手側の手柄は
こうして素直に褒め称えられる。
そんな関係には あこがれる。
エルネスト=マンデルが亡くなった時にも
モレノ派のサイトに心暖まる追悼文が載っていた。
というか、
黒田寛一でも北小路敏でも
福田正義でも大隈鉄二でもいい。
死んだ時に他の党派から、
「我々は彼や彼の同志たちに借りが有る」と
言ってもらえた新左翼党派指導者が
果たして日本には居ただろうか?
そう考えるとスゴい。
アラン=クリヴィーヌは五月革命の後、
フランスの第四インターナショナル統一書記局の
指導者となった。
1999年から4年間は、
EUの議会である欧州議会の議員も務めた。
【参考記事】