――しかも、それが割と当たり前――
■入信届も信仰告白も無いまま…
これは一般論として聞いてほしいのだが、
「○○さんは✕✕教の信者である」ということが
日本では、
○○さんの思想・信条や世界観を
『全く』反映していないことが よく有る。
多くの人が、
入信届を書いたことも無ければ
信仰告白をしたこともない宗教の檀信徒であり、
また氏子でもある。
例えば私の場合、
世界観としては弁証法的唯物論を、
人生観としては世俗的ヒューマニズムを、
社会思想としては社会主義を奉じてやまない。
が、そんな私も、
大阪の旧平野郷出身者として
神社本庁・杭全神社の氏子となり、
酒井家の長男として
浄土宗・地久山天長院櫻井寺の
檀信徒となっている(らしい)。
入信した覚えなど全く無いにもかかわらずである。
旧統一教会=家庭連合でも事情は同じで、
「家庭連合の信者である」ということが
単に、
「家庭連合を信仰する家族の子である」
以上の意味を持たない人が
かなり居るのではないかという気がする
(言わゆる二世信者問題)。
「信者である」ことが必ずしも、
その人の信仰を意味しない ややこしさが
そこには有る。
【参考記事】
..... Ads by Excite 広告 .....