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「眼光紙背」と「文底読み」

――ともすれば深読みのし過ぎにも――
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■「深意読解」か「けん強付会」か
『聖教新聞』の今日の「名字の言」に、
創価学会第2代会長・戸田城聖が
「眼光紙背に徹す……読書を……勧めた」とあった。

「その本の成立や歴史的背景、当時の社会の姿、
 本の中の人物や表そうとしている意味を、
 思索しながら……、
 作者の……境涯、人生観、世界観、宇宙観、思想をも
 読み込」めと言う。
 
「眼光紙背に徹す」とは、
「書物の字句の背後にある深意をも読み取ること」だ。
戸田城聖は、
「ここまでしなければ、
 本当の読み方ではないと訴えた」。
ここには、
『妙法蓮華経』寿量品から日蓮が
「文底秘沈の一念三千の法門=南無妙法蓮華経」を
見出したとし、
それを良しとした戸田城聖の思いも見える。
 
戸田城聖も戦中に獄中で、
『仏とは四角くも丸くもなく、
 座っても寝てもなく、
 青くも黄色くも赤くもない……』との謎の経文を
幾度も読みぬき、
そこから
『仏とは生命のことなのだ』との悟りを得たという。
 
「眼光紙背」や「文底読み」には、
ともすれば
「書いていない事を勝手に読み取る」危うさも有る。

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by imadegawatuusin | 2023-09-23 19:09 | 仏教
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