――日蓮とキリストの財産観――
■蔵の宝より身の宝、身の宝より心の宝
仏教・日蓮宗の創始者である
鎌倉時代の僧・日蓮の言葉に、
「蔵の財(たから)より身の財(たから)すぐれたり
身の財(たから)より心の財(たから)第一なり」
(「蔵の宝」より「身の宝」の方が優れており、
「身の宝」より「心の宝」こそが第一である)
という言葉がある(「崇峻天皇御書」『新編日蓮大聖人御書全集』1173ページ)。
キリスト教の教主・イエスは
「富は、天に積みなさい」と言ったが〔注1〕、
いわゆる「天国」の存在を信じない唯物論者である僕には、
『富は心に積みなさい』の日蓮の言葉の方が
よりしっくりくる感じがする。
〔注1〕キリスト教の聖典・『新約聖書』の
「マタイによる福音書」に、次のようにある。
「富は、天に積みなさい。
そこでは、
虫が食うことも、
さびが付くこともなく、
また、
盗人が忍び込むことも
盗み出すこともない。
あなたの富のあるところに、
あなたの心もあるのだ」(「マタイによる福音書」6:20~21)。
本文では日蓮の言葉を引き合いに出して少し否定的に扱ったが、
「あなたの富のあるところに、
あなたの心もある」というのは
非常に鋭い人間観察であると思う。
確かに、
限られた収入をその人が一体何に使うのかということは、
その人の心の置き所を如実に映し出すものだ。
もしその人が、
収入の大きな部分を労働組合へのカンパにあてているとすれば、
その人の心は労働運動の前進にある。
慈善活動への寄付にあてているとすれば、
その人の心は社会福祉にある。
美食に巨額の金をつぎ込んでいるとすれば、
その人の心は食欲にあり、
パチンコに大金をつぎ込んでいるとすれば、
その人の心はギャンブルにある。