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武道必修化:少数者への配慮も忘れるな

――慎重な議論を――

■聖書の厳格な解釈から「戦うことを学ばない」宗教も
中央教育審議会の体育・保健部会は、
中学の保健体育において武道を必修化する方針を決めたという〔注1〕。

もちろん僕も一般論として、
多くの人が武道を学ぶことの意義を否定はしない。
だが、義務教育において武道を必修とするにあたっては
やはり慎重な配慮が求められると考える。

たとえばエホバの証人(ものみの塔)などは、
聖書の文言の厳格な解釈から、
信者が格闘技を学ぶことを禁じている。
『旧約聖書』の「イザヤ書」に描かれた
「主は……多くの民を戒められる。
 彼らは……
 もはや戦うことを学ばない」(2章4節)という
終末における「神の民」の理想的なあり方や、
『新約聖書』の「ローマの信徒への手紙」にある
「せめてあなたがたは、
 すべての人と平和に暮らしなさい」(12章18節)といった平和原則を
かたくなに厳守しようとするのである。
(また、
 「だれかがあなたの右の頬を打つなら、
  左の頬をも向けなさい」〔「マタイによる福音書」5章39節『新約聖書』〕
 というイエスの言葉を厳守しながら武道に参加した場合、
 壮絶ないじめ状態に発展するであろうことは想像に難くない)。
そのためこれまでも、
武道を必修とする高校などで履修をめぐって問題が絶えず、
中には退学処分とされた者もいるほどだ。

義務教育でない高等教育においてなら、
極端な話、
「嫌なら辞めろ」と言うことも可能だ。
(そして事実、
 こうした事情からエホバの証人には
 高等教育を受けていない低学歴者が多い。
 このことが非科学的でかたくなな信仰態度に
 ますます拍車をかけているとの指摘もある)。
だが中学は義務教育であり、
いかなる日本国民も避けて通ることのできない道だ。
ここにおいて武道を必修とすることは、
事実上特定宗教の信者には
義務教育すら受けさせない
(あるいは特定宗教の信者に対して
 「踏み絵」を踏ませる)行為となりはしないか。

以上の理由で僕は、
義務教育における武道の必修化にあたっては、
こうした少数者への慎重な配慮が必要であると考える。
〔注1〕あと、武道必修化推進の理由として
「礼に始まり礼に終わる武道の精神を……」というような声が多いが、
大切なことを忘れているのではないか。
日本の中学校は今までから、
国語・数学・理科・社会・英語……
すべての教科が「礼に始まり礼に終わ」ってきたはずだ。
(「起立、礼、着席!」)。
それをなぜ突然、
せいぜい週に数時間の武道で礼儀作法が身につくと考えたのか、
僕は はなはだ疑問である。
by imadegawatuusin | 2007-09-16 19:27
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