――物語構造や人物造形の類似性――
■高橋亮子さんが与えた影響 私が最も好きな漫画は、 水沢めぐみさんの『姫ちゃんのリボン』だ。 1990年からおよそ4年の間、 少女漫画雑誌である『りぼん』に載っていた。 そして、 テレビ東京において1年間、 週ごとに30分間という枠で アニメ化されたことも有る。 これまでは 集英社のリボンマスコットコミックスとして 世に出されてきた。 けれども近頃は、 集英社文庫(コミックス版)としても 世に出ている。 まさしく我が国の少女漫画誌に残るべき 優れた出来栄えの漫画である。 私にとってはこの『姫ちゃんのリボン』こそが、 少女漫画の理想形に他ならない。 ところでこの『姫ちゃんのリボン』は、 それが描かれるよりも前に既に世に出ていた ある漫画とよく似ている。 それは、 高橋亮子さんが描いた 『つらいぜ!ボクちゃん』という少女漫画だ。 1974年から2年ほど、 小学館の『週刊少女コミック』で描かれていた。 今まで誰もこの事をきちんと言ってこなかった。 少なくとも、 私が知る限りでは、 この事を文章の形でハッキリと示した人は 一人として居ない。 けれども、 『姫ちゃんのリボン』と 『つらいぜ!ボクちゃん』との間には 似ているところが多すぎる。 『姫ちゃんのリボン』というお話は確かに、 それに先駆けて出ていた『つらいぜ!ボクちゃん』に よく似たところが数多く有る。 ただ、 その事を認めたうえでなお、 『姫ちゃんのリボン』というお話には 『つらいぜ!ボクちゃん』とは全く異なる 優れた創作性が有る。 そもそも、 創作という行ないにおいて、 何か 「無から有を生み出す」ことが 出来るかのごとく考えるのは 幻である。 小説家も漫画家も、 既に在る作品群から 様々なものを借用し、 物理的・社会的環境に 様々な形で規定されながら 作品を紡ぎあげていくのである。 私は『姫ちゃんのリボン』を愛すればこそ、 この作品が『つらいぜ!ボクちゃん』から 何を受け継ぎ、 それをいかに新たな作品へと 発展・昇華させたのかを きちんと指摘したいと思う。 また、 逆説的な話であるが、 『姫ちゃんのリボン』の まことの 「個性」や「独創性」というものは、 「元ネタ」である『つらいぜ!ボクちゃん』との 比較・検討を行なう中で、 初めて明らかになるものなのだと 私は信じているのである。 ■物語の構造が極めて似ている まずは、 物語の構造から見ていきたい。 少女漫画の最も重んじるべき要素ともいうべき 「恋愛」というところに的をしぼって見比べた場合、 『姫ちゃんのリボン』と 『つらいぜ!ボクちゃん』とは ほぼ同じ物語構造を持っていることが すぐに分かる。 1.主人公の女の子が 当初好意を持っていた年上の男性は、 主人公の姉と結ばれる。 2.失恋した主人公は、 自分に好意を持っている年下の男の子に 次第に ひかれていく。 3.そこに、 外国から転入してきた キザな少年が現れ、 主人公・年下男・キザ少年の間に 三角関係が生まれる。 4.更に、 年下男の幼馴染の少女が ここに現れ、 主人公・年下男・幼馴染少女の間に 三角関係が生まれる。 5.最終的には主人公は年下男と結ばれる。 登場人物の名前や性格、 舞台あるいは具体的な挿話などの 「物語の肉付け」を取り除き、 「物語の骨組み」だけを取り出したとき、 二つの お話は極めてよく似たものになる。 ちなみに、 この抽象的な「登場人物」は、 それぞれの物語では、 次に挙げた名前を与えられて出てくる。 ・主人公の女の子 『姫ちゃんのリボン』:「姫ちゃん」こと野々原姫子 『つらいぜ!ボクちゃん』:「ボクちゃん」こと田島望 ・年上の男性 『姫ちゃんのリボン』:「支倉先輩」 『つらいぜ!ボクちゃん』:「辻先生」 ・主人公の姉 『姫ちゃんのリボン』:「愛子お姉ちゃん」 『つらいぜ!ボクちゃん』:「水絵ねえさん」 ・主人公に好意を持つ年下の男の子 『姫ちゃんのリボン』:「大地」こと小林大地 『つらいぜ!ボクちゃん』:「渡くん」こと小野寺渡 ・外国から転入してきたキザな少年 『姫ちゃんのリボン』:有坂静(セイ=アレイ) 『つらいぜ!ボクちゃん』:矢沢卓也 ・年下男の幼馴染の少女 『姫ちゃんのリボン』:聖結花 『つらいぜ!ボクちゃん』:原かおり 言うまでも無く、 これはかなり乱暴な まとめ方である。 例えば上の表においては、 小林大地と小野寺渡とを、 「主人公に好意を持つ年下の男の子」として 一まとめにした。 けれども、 『つらいぜ!ボクちゃん』の田島望と小野寺渡とでは 本当に一学年 歳が離れているのに比べて、 『姫ちゃんのリボン』においては 野々原姫子と小林大地は 学年は全く同じであり、 誕生日が たったの4日離れているだけにすぎない。 (にも関わらず『姫ちゃんのリボン』においては、 大地が姫子より「4日 年下」であることが 幾たびも強調されているところに注目してほしい)。 ちなみに、 『姫ちゃんのリボン』の読み手の中には、 姫子の側が先に大地を好きになったのだと 思い込んでいる人が かなり居る。 けれども、 その考えは間違っている。 『姫ちゃんのリボン』においても 『つらいぜ!ボクちゃん』と同じく、 姫子が大地を意識するようになるよりも先に、 大地の側が姫子を好きになっている。 大地が姫子を好きになったのは、 実は物語の序盤なのである。 失恋が確定した姫子が、 学校の屋上へと至る 「おばけが出る階段」の所で 泣き疲れて眠っていた時のことだ。 大地が その寝顔を覗き込んだ まさしく その時に、 大地は姫子に ひかれたのである(単行本1巻115ページ)。 『姫ちゃんのリボン』の作り手である 水沢めぐみさんは、 かけがえの無い この場面を、 読み手に そうとは悟らせなくするために、 あえて何気なく描くことによって、 これを際立たせたりすること無く、 物語の中に埋没させてしまっている。 そして そのあとに、 姫子が 大地のことを好きになったという事の側は ハッキリと強く描くのだ。 こうする事によって読み手は、 姫子の思いが本当に大地に届くのか どうかを ドキドキしながら見守らざるをえなくなる。 『姫ちゃんのリボン』は、 『つらいぜ!ボクちゃん』の、 「男の子の側が先に主人公を好きになる」 という後先(あとさき)のついでを 忠実に踏まえて なぞりながらも、 それでいて、 その後先のついでが あたかも逆さまであったかのごとく錯覚させるという 「叙述トリック」を使いこなすことによって、 『つらいぜ!ボクちゃん』とは全く異なる印象を うまく読み手に与えている。 ■共通する挿話(エピソード)も続出 物語に出て来る人物の名前や性格、 舞台や具体的な挿話(エピソード)などの 「物語の肉付け」を取り除き、 「物語の骨組み」だけを残した場合、 『姫ちゃんのリボン』と『つらいぜ!ボクちゃん』とが 同じ造りをしている事は 既に上で指摘した。 けれども実は、 そのとき取り除いた『物語の肉付け』においても、 二つの作品の間には よく似たところが多いのだ。 まず、 「登場人物の性格」であるが、 上において挙げた それぞれ相当する人物同士の性格は 似ているものが多いのである。 中でも、 野々原姫子と田島望、 「支倉先輩」と「辻先生」、 「愛子お姉ちゃん」と「水絵ねえさん」、 有坂静(セイ=アレイ)と矢沢卓也は、 ほぼ同じ系統の性格であると言っていい。 元気で明るく、 「男の子みたい」〔注1〕な 野々原姫子と田島望、 知的で落ち着いた趣の 「支倉先輩」と「辻先生」、 「お料理 上手だし 家事全般 こなすし 女らしくて 美人」な 「女の鑑」〔注2〕である、 「愛子お姉ちゃん」と「水絵姉さん」、 「プレイボーイ」で実は お調子者の、 有坂静(セイ=アレイ)と矢沢卓也……。 これらは ほとんど同一人物と言っていいほどだ。 (「野々原姫子と田島望」は、 気合を入れるために用いる「決めポーズ」を 共に持っているところまで同じである。 「姫ちゃん」は「いけいけゴーゴージャンプ!」、 「ボクちゃん」は歌舞伎まがいの 「ポーズ!」という「決めポーズ」を 持っているのだ。 また、 入っているクラブが 共に演劇部であるところも 同じである。 「姫ちゃん」がポコ太、 「ボクちゃん」が忠治という 「お付きの動物」を連れているところも また同じだ)。 けれども、 よく似ているのは性格だけではない。 物語の中における 彼らの具体的な ふるまい そのものが、 あまりにも よく似ているのである。 まずは物語の始まり方である。 『姫ちゃんのリボン』においては、 主人公である「姫ちゃん」が、 野球を やっていて着ていた服を汚してしまい、 体操服に着替えて家に帰るところから 物語が始まる。 家に帰ると「愛子おねえちゃん」が居て、 「あらあら まー 今度は なに やらかしたの?」と、 その姿を見て 「姫ちゃん」に たずねるのである (単行本1巻7~15ページ)。 一方『つらいぜ!ボクちゃん』においても、 主人公である「ボクちゃん」が 学校にて制服を汚してしまい、 体操服に着替えて家に帰るところから 物語が始まる。 家に帰ると「水絵姉さん」が居て、 「まあー まあー まあ… 男の子と ケンカ!? まーっ おそろし」と言うのである(単行本1巻13~24ページ)。 物語の始まり方からして、 この2つの漫画は あまりにも よく似ている。 ちなみに、 服を汚してから家に帰るまでの 数ページの間に しっかりと、 「年上の男性」(「支倉先輩」・「辻先生」)および 「年下の男の子」(小林大地・小野寺渡)の2つが 共に出て来るところも見逃せない。 『姫ちゃんのリボン』には、 文化祭の5日前に、 演劇部にて主役を務める少年がケガをしてしまい、 文化祭に出られなくなってしまうという お話が有る。 その少年は、 脚立から落ちてきた別の部員を助けようとして、 自分がケガを負ってしまったのだ (単行本1巻95~97ページ)。 『つらいぜ!ボクちゃん』においても同じく、 文化祭の3日前に、 演劇部にて主役を務める少年がケガをしてしまい、 文化祭に出られなくなってしまうという お話がある。 ケガの わけは 『姫ちゃんのリボン』と全く同じく、 脚立から落ちてきた別の部員を助けようとして、 自分がケガをしたというものだ (単行本1巻167~165ページ)。 ちなみに、 『姫ちゃんのリボン』にて この時 行なわれる予定であった劇の演目は 『夕鶴』である。 そして『つらいぜ!ボクちゃん』においても 「ボクちゃん」たちの演劇部は、 別の機会に『夕鶴』を演じている。 この時、 主役を演じた「ボクちゃん」は、 劇の さ中に 過労のために倒れてしまうことになる (単行本5巻116~125ページ)。 『姫ちゃんのリボン』においても、 「姫ちゃん」たちの演劇部が 『ピーターパン』を演じた時、 劇の直前になって、 主役を やる予定の聖結花が 倒れてしまう。 (ただしこちらは、 『つらいぜ!ボクちゃん』の場合とは違い、 聖結花が「姫ちゃん」に主役を譲るための 狂言だったという落ちが つく)。 「姫ちゃん」は聖結花に代わって ピーターパンの代役を務めることになる (単行本6巻174~182ページ)。 更に『つらいぜ!ボクちゃん』には、 これと全く同じく、 「ボクちゃん」が他人の代役で ピーターパンの役を務めるという場面も有る (単行本6巻18~50ページ)。 いくら「姫ちゃん」も「ボクちゃん」も 共に演劇部に入っているからといって、 『夕鶴』・『ピーターパン』と、 物語の中で演じられる劇の演目までが たまたま同じという事は やはり考えにくいだろう。 『姫ちゃんのリボン』においては、 学校の女子に人気のある小林大地が 姫子と共に行動することが増えるにしたがい、 姫子が「大地君ファンクラブ」に にらまれるハメになる(単行本1巻130~131ページ)。 『つらいぜ!ボクちゃん』においても同じく、 小野寺渡が田島望と仲良くなるに したがって、 田島望が「渡君の親衛隊」に にらまれるハメになる(単行本1巻96ページ)。 『姫ちゃんのリボン』には、 「姫ちゃん」が学校のフェンスを よじ登り、 その拍子にリボンが破れてしまうという 挿話(エピソード)が有る(単行本1巻118~119ページ)。 同じく 『つらいぜ!ボクちゃん』においては、 「ボクちゃん」が学校の へいを よじ登り、 その拍子にスカートが破れてしまうという 挿話が有る(単行本4巻7~9ページ)。 『姫ちゃんのリボン』には、 「姫ちゃん」が 「お付きの ぬいぐるみ」であるポコ太を 風呂に連れて入り、 母親が 「あの子は… またぬいぐるみと 風呂に入ってるのか 中一にも なって…」と、 愚痴を こぼしている場面がある(単行本2巻20ページ)。 『つらいぜ!ボクちゃん』においても、 「ボクちゃん」が 「お付きの動物」である忠治を風呂に連れて入り、 母親が 「おふろに 忠治は 入れるなって あれほど いっといた だろっ! ネコの 毛だらけで はいれないじゃ ないのっ!」と、 怒っている場面が有る(単行本1巻75~77ページ)。 『姫ちゃんのリボン』においては、 「姫ちゃん」が間抜けな誘拐犯に 人質にされるという事件が起こる (単行本2巻67~76ページ)。 『つらいぜ!ボクちゃん』においても、 「ボクちゃん」が間抜けな銀行強盗に 人質にされるという事件が起こる (単行本3巻20~60ページ)。 『姫ちゃんのリボン』には、 「姫ちゃん」が授業中に考え事をしている時に、 メガネをかけた女教師に当てられ、 トンチンカンな返事をして 女教師を怒らせるという挿話が有る (単行本3巻85~86ページ)。 『つらいぜ!ボクちゃん』にも同じく、 「ボクちゃん」が考え事を していた時に、 メガネをかけた女教師に当てられ、 トンチンカンな返事をして 女教師を怒らせるという挿話がある (単行本1巻108ページ)。 『姫ちゃんのリボン』には、 「姫ちゃん」が ある男の子と女の子とを くっつけたいと思って 要らぬ おせっかいを焼く場面が有る。 男の子が映画を見に行くことを知って 女の子を呼び出し、 彼の隣の席に女の子を連れて座ったあと、 「ちょっと/トイレ」に「行ってくる」と言って 映画館を出てしまう。 二人を二人きりにしようとしたわけだ。 当事者の断りも無く、 「姫ちゃん」の独断にて行なわれた この作戦は、 まさにそうなるべくして当事者の怒りを買い、 「姫ちゃん」は自己嫌悪に襲われる (単行本7巻77~90ページ)。 『つらいぜ!ボクちゃん』にも よく似た場面が有る。 「ボクちゃん」は ある男の子と女の子とを ピアノコンサートに誘い出し、 「ちょっと……用があ」る、 「すぐ…もどる」と言って会場を出てしまう。 二人を二人きりにしようと したのだけれど、 当事者の断りも無いまま行なわれた この作戦は、 まさにそうなるべくして当事者の怒りを買い、 「ボクちゃん」は自己嫌悪に襲われるのだ (単行本1巻121~138ページ)。 『姫ちゃんのリボン』において、 外国からの転校生・有坂静は、 「姫ちゃん」と同じクラブに入りたくて 演劇部に入部する(単行本3巻105ページ)。 そのあと彼は、 テニス部にも掛け持ちで入部する(8巻147ページ)。 『つらいぜ!ボクちゃん』においても、 外国からの転校生・矢沢卓也は 「ボクちゃん」と同じクラブに入りたくて 演劇部に入部する (単行本4巻23~26ページ)。 そのあと彼は、 テニス部にも掛け持ちで入部する (単行本4巻39~40ページ)。 これらの事を考え合わせるならば、 この2つの物語は「骨組み」の次元だけではなく、 「肉付け」の次元でも 大いに似ているという事が 分かるはずである。 水沢めぐみさんは、 有坂静の兼部する運動部を 「テニス部」ではなく、 たとえば「バスケットボール部」に変えることも 出来たはずだ。 しかし、 それをする事無く、 『つらいぜ!ボクちゃん』の設定の通りに あえて「テニス部」に入れている。 私が敬う歌人の枡野浩一さんによると、 「『パロディというのは元ネタに気付いてほしい場合、 盗作というのは元ネタに気づいてほしくない場合』 という定義がある」そうだ (枡野浩一『日本ゴロン』149ページ)。 この場合、 水沢めぐみさんは明らかに、 『元ネタに気付いてほしがっている』と 言わざるをえない。 『姫ちゃんのリボン』と 『つらいぜ!ボクちゃん』とを読み比るならば、 『姫ちゃんのリボン』が 『つらいぜ!ボクちゃん』からの 大量の借用を行なっていることは 明らかである。 どうしてそれを誰一人、 今まで きちんと指摘しようとはしなかったのか。 『姫ちゃんのリボン』が 『つらいぜ!ボクちゃん』からの 大量の借用を行なっている事実から 目を そらそうとするのは、 その事を後ろめたい事と思い込み、 心の中で『姫ちゃんのリボン』を 実は落としめていることの裏返しではないだろうか。 私には、 そう思われてならない。 繰り返そう。 作者・水沢めぐみさんは、 『姫ちゃんのリボン』の元ネタの存在に 明らかに 「気付いてほしがっている」のである。 ■単行本の編集の仕方までソックリ 水沢めぐみさんが 『姫ちゃんのリボン』の元ネタの存在に 気付いてほしがっていたと述べる より所として、 私は更に、 「単行本の編集」を挙げたい。 『姫ちゃんのリボン』と 『つらいぜ!ボクちゃん』は、 単行本の編集の仕方まで 実はソックリなのである。 『姫ちゃんのリボン』の単行本には、 雑誌に載せられていた漫画だけではなく、 単行本の終わりに 「姫ちゃん通信」というコーナーが付いている。 そこには、 主人公である「姫ちゃん」の 日々の思いを綴ったような内容の 文章や絵が載せられている。 『つらいぜ!ボクちゃん』の単行本にも巻末に、 「ボクちゃんだより」というコーナーが有る。 「姫ちゃん通信」と ほぼ同じ意味合いを持ったコーナーだ。 水沢さんが若し 元ネタに気付いてほしくないのならば、 何もこうしたコーナーを 単行本の巻末に わざわざ設ける必要は無い。 そもそも、 『つらいぜ!ボクちゃん』から 影響を受けたという事は、 恥ずかしい事でも何でもない。 この『つらいぜ!ボクちゃん』の作者である 高橋亮子さんは、 その後の多くの少女漫画家に 大きな影響を与えている。 高橋亮子さんの作品の一つに 『風色日記』というものが有る。 これがテレビ東京においてアニメ化された やぶうち優さんの名作・『水色時代』に 大きな影響を与えたという事は あまりにも よく知られている。 『姫ちゃんのリボン』は 『つらいぜ!ボクちゃん』から 確かに多くの借用を行なっている。 そして、 その事を踏まえた上で、 初めて見えてくる 『姫ちゃんのリボン』の素晴らしさも有るのである。 (例えば、 上で私が指摘した、 『姫ちゃんのリボン』の 優れた「叙述トリック」のようにだ)。 〔注1〕 「男の子みたい」という言端は、 『姫ちゃんのリボン』においても 『つらいぜ!ボクちゃん』においても 主人公を指して たびたび 使われている。 ただし おもしろい事に、 昭和49(1974)年に 描かれた 『つらいぜ!ボクちゃん』においては、 「少年のような」という言端が 時として女の子への『誉め言葉として』 使われることも有るのに比べて (単行本6巻123ページなど)、 平成2(1990)年に描かれた 『姫ちゃんのリボン』においては 「男の子のよう」という言端は一貫して、 良くない文脈においてしか使われることは無い。 『姫ちゃんのリボン』においては、 「姫ちゃん」を誉めるときには、 「姫ちゃん」は 「本当は/とっても女の子らしい 子なんだ」(単行本1巻55ページ) といった修辞(レトリック)が使われるのだ。 私には、 (「姫ちゃん」のことを 本当の意味では理解していなかったとされる ) 有坂静が言った、 「女らしいって/ことだけが 魅力的ってことじゃ/ないんだから 明るさや/元気の良さや まわりの人を/楽しい気持ちに/させてくれる そんな雰囲気 すべてが/君の魅力であり 長所なんだ 自信を持って/いいと思うよ」 (2巻147ページ~148ページ) という言葉の方が よほど納得できるのだけれども、 どうやら これは 『姫ちゃんのリボン』という作品の中では 「不正解」の「姫ちゃん評」とされるらしい。 作品の中では あくまで、 「姫ちゃんは本当は女らしい」というのが 「正解」であるらしいのだ。 「女の子らしさ」を拡大解釈することによって、 「姫ちゃん」のような女の子まで 無理やり「女の子らしさ」の領域に 囲い込もうとする こうした言い方には、 私にはどうも納得しかねるものが残る。 「本当は」などと言い出したら恐らく、 どんな人だって 男らしくも女らしくも あるだろう。 (「100パーセント女らしいだけの人間」や 「100パーセント男らしいだけの人間」など、 イツはずがないのだから)。 それほどまでして女の子は 「女の子らし」くなくてはいけないものなのだろうか。 女の子は、 その子がどれほど素晴らしくとも、 「女の子らし」くなければ 誉めるに値しないのだろうか。 少なくとも、 私はそうは思わない。 〔注2〕 『姫ちゃんのリボン』単行本1巻18ページを 参照のこと。 (『鈴木邦男をぶっ飛ばせ!』「酒井徹の今週の裏主張」No.92より加筆転載) ..... 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| 2004-05-05 02:26
| 漫画・アニメ
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名前:酒井徹
生まれた日:昭和58(西暦1983)年8月22日 世わい:41歳 住みか:〒454-0013 日本国愛知県名古屋市中川区八熊一丁目12番6号 明治第4ビルディング205号 電話番号:070-4531-5528 電子郵件宛先:sakaitooru19830822@gmail.com ミニブログ(微網誌):https://twitter.com/SAKAI_Tooru カテゴリ
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