――もと 施設労働者しせつろうどうしゃ犯行はんこうみみうたがう――

障害者しょうがいしゃインター日本にほん、「つよいかり」と 抗議声明こうぎせいめい

26日にじゅうろくにちの、
けきらぬ うしどきに、
神奈川県かながわけん 相模原市さがみはらし県立知的障害者施設けんりつちてきしょうがいしゃしせつ
津久井つくいやまゆりえん」が
刃物はものった おとこおそわれた。
ここにおいて、
その おとこによって
19人じゅうくにんとお あまり ここのたりの 人人ひとびと)が
ころされた。
さらに そのうえ、
26人にじゅうろくにん(はたち あまり ゆたりの 人人ひとびと)が
おとこ手傷てきずわされたのだ。
日本にっぽんもと大和やまとくに)の 全国ぜんこく日刊にっかん新聞しんぶんである
毎日新聞まいにちしんぶんわく、
被害者(ひがいしゃ)重度(じゅうど)障害(しょうがい)(かか)
 介護(かいご)必要(ひつよう)(ひと)たちだ。
 夜間(やかん)でもあり
 無防備(むぼうび)無抵抗(むていこう)だっただろう。
 あまりに残忍(ざんにん)冷酷(れいこく)というほかない」と しかじか
っている(毎日新聞まいにちしんぶん7月しちがつ27日にじゅうしちにち)。

くわえて、
施設しせつおそった この おとこ
県立けんりつ・「津久井つくいやまゆりえん」の もと 職員しょくいんであった。
そして、
この おとこ警察けいさつ調しらべに こたえて わく、
障害者(しょうがいしゃ)なんていなくなればいい」うんぬんと
はなしているというのである。

ところで、
おとこ今年ことしふゆ
2月にがつ 15日じゅうごにち2月にがつ十日とおか あまり 五日いつか)に
衆議院しゅうぎいん議長ぎちょういえたずねていた。
その ときおとこは、
土下座どげざたのんだうえで
衆議院しゅうぎいん議長ぎちょうてた 手紙てがみわたしていたのだ。
そして、
その 手紙てがみには わく、
(わたし)目標(もくひょう)は……
 重度障害(じゅうどしょうがい)(かた)
 家庭内(かていない)での生活(せいかつ)(およ)社会的活動(しゃかいてきかつどう)
 (きわ)めて困難(こんなん)場合(ばあい)
 保護者(ほごしゃ)同意(どうい)(え)安楽死(あんらくし)できる世界(せかい)です」と
しかじか かれていたのである
朝日新聞あさひしんぶん7月しちがつ27日にじゅうしちにち)。

それにしても、
障害者本人しょうがいしゃほんにんではなく、
保護者ほごしゃなど
まわりの ひと都合つごうでもって
障害者しょうがいしゃ勝手かってころしても よいなどという かんがかたは、
きわめて おそろしいものである。
そもそも、
障害しょうがいものも また 健常者けんじょうしゃおなじく、
ほかの だれでもない、
ただ 一人ひとりだけの ひととして
なかる。
しかるに、
この おとこかんがえは、
その ことを あまりにも かろんじた、
はなはだ あさはかなものである。
そして なにより、
そうした かんがえが、
だれよりも 障害者しょうがいしゃ身近みぢかってきたはずの
知的障害者施設ちてきしょうがいしゃしせつもと 職員しょくいんから
した ことには
おどろきを おぼえる。
こうした かんがえの ぬし
障害者しょうがいしゃ介護かいごに あたっていたのかと おもうと、
背筋せすじさむくなるばかりだ。

くに地方自治体ちほうじちたいは、
こうした いたましい 出来事できごとふたたこるのを
ふせいでいかなければならない。
およそ
たか人権意識じんけんいしきもとめられる、
障害者施設しょうがいしゃしせつにおいて つとめる ものについては まさに、
かなら定期的ていきてき
人権研修じんけんけんしゅうけさせるべきだ。
ゆえくに地方自治体ちほうじちたいは、
障害者施設しょうがいしゃしせつ職員しょくいんへの
人権研修じんけんけんしゅう受講義務化じゅこうぎむか
すべからく みきるべきである。

おとこは、
みずからの ゆがんだ おもいの ままに、
障害者しょうがいしゃいのちしいままに あそんだ。
こうした 身勝手みがってな ふるまいを、
わたしは ゆめゆめ みとめない。
このたびくだんの 出来事できごとは、
障害者しょうがいしゃへの ゆがんだ 見方みかたもとづいた
おそるべき 憎悪犯罪ぞうおはんざいほかならない。

障害者しょうがいしゃインターナショナル(DPI)日本会議にほんかいぎ
27日にじゅうしちにちに、
相模原市障害者殺傷事件(さがみはらししょうがいしゃさっしょうじけん)(たい)する抗議声明(こうぎせいめい)」を
おおやけにした。
この なかで DPI日本会議にほんかいぎ
このたびくだんの 出来事できごとについて わく、
障害者(しょうがいしゃ)を『あってはならない存在(そんざい)』とする
 優生思想(ゆうせいしそう)(もと)づく行為(こうい)(ほか)ならず、
 (わたし)たちDPI日本会議(にほんかいぎ)
 ここに(つよ)(いか)りと(ふか)(かな)しみを(こ)めて
 断固(だんこ)として
 優生思想(ゆうせいしそう)(たたか)っていくことを
 (あらた)めて(ちか)う」と しかじか べている。

わたしも また、
精神障害せいしんしょうがいわずら障害者しょうがいしゃである。
そうした 立場たちばにある ものとして わたしも また、
津久井つくいやまゆりえん」の 人人ひとびとうでって

このたびくだんの 出来事できごと糺弾きゅうだんする(ただす)。
そして、
おとこに むごたらしくも ころされた 障害者しょうがいしゃたちに
おもいを はせ、
のこされた 遺族いぞく施設しせつはたら人人ひとびと
こころから おやみを もうしあげる。
また
おとこによって
手傷てきずわされた 人人ひとびとについては、
一日いちにちはやく その きずが いえることを
のぞむばかりだ。

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by imadegawatuusin | 2016-07-28 16:03 | 差別問題

遺産相続の際、
結婚していない男女間に生まれた婚外子の相続分を、
結婚していた男女間に生まれた婚内子の
半分とする民法の規定について、
最高裁は9月4日に、
「法の下の平等を定めた憲法に違反する」との判断を
示した。
判決は、
「父母が婚姻関係になかったという、
 子にとっては自ら選択、修正する余地のないことを
 理由として
 その子に不利益を及ぼすことは許されず、
 子を個人として尊重し、
 権利を保障すべきだ」述べ、
大法廷で全員一致の判断となった。

さて、
今回の判決で敗訴した婚内子側が
見過ごすことのできない声明を出し、
新聞などで報道されている。
声明は、
「私たちは幸せな家庭を壊され、
 家から追い出されました。
 それでも母は(婚外子の相続を半分とする)規定を
 心の支えに精神的苦痛に耐えてきました」とし、
「最高裁の判断」に「絶望しました」というのである
(朝日新聞9月5日)。

この婚内子の母が
最終的に「父」と離婚したのかどうかはわからない。
しかしもし離婚はしなかったのであれば、
配偶者である婚内子の母は
遺産の半分を自らのものにできるのに対し、
婚外子を生み育てた側の母は、
配偶者でないので
今回の判決をもってしても
1円も相続することはできない。
そしてもし離婚していたのだとすれば、
そうした「精神的苦痛」は
その際の慰謝料によってあがなわれるべきものであって、
互いの子供同士を差別することによって
精神の安定を図ろうというのは
はなはだ不健全な話である。

父母の間で起きた「精神的苦痛」は
父母の世代で解決すべきものであり、
子供たちの世代に持ち込むべきではない。


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by imadegawatuusin | 2013-09-08 13:53 | 差別問題

――同性愛が「障害」でないのはなぜ?――

■「医学治療を必要とする状態」が病気・障害

今日、
中京大学で
ジェンダー・セクシャリティー問題を教えている
風間孝教授と話をした。

その中で、
「『性同一性障害』は障害だから同情の目で見るけど、
 同性愛は認めない」というような意見が
自民党の一部から出ているという話が出た。
また、
「性同一性障害」という言葉が
これほど「市民権」を得ている国は珍しく、
海外では一般に
「トランスジェンダー」と呼ばれているとか、
当事者の中にも、
ただ自分らしく生きたいだけなのに
なぜそれが「障害」とされるのかという意見があるとの
話があった。

なぜ「性同一性障害」は「障害」なのか。
それに対して、
なぜ同性愛は「障害」とはされないのだろうか。

端的に言うと、
「性同一性障害」が「障害」とされるのは、
ホルモン注射や性別適合手術などの
「医学的治療」が必要だからである。
日本の「母体保護法」では、
「故なく、生殖を不能にする」ことは
犯罪とされている。
だから、
たとえ本人の同意があったとしても、
「医学的な病気治療である」という大義名分なしに
性器の構造を変える手術を行なったりすると
犯罪になってしまうし、
ホルモン注射にしても、
「医学的な病気治療である」という
大義名分があってはじめて
医者が治療として行なえる。
「性同一性障害」が「障害」であるというのは単に
「医学的治療を必要とする状態である」ということを
意味するに過ぎず、
「その状態が異常である」というような
価値判断は含まないのだ。

つまり、
同じ「トランスジェンダー」の人であっても、
「私は体は男性、
 心は女性という状態を受け入れて生きていく」
という人で、
ホルモン注射や性別適合手術などの
「医学的な治療」を受けず、
単に服装や振る舞いなどにおいてのみ
生物学的な性別とは異なる社会的振る舞いをする人は、
それが社会的にどれほど少数で
奇異な目で見られたとしても
「障害者」ではない。
「トランスジェンダーではあるが
 『性同一性障害者』ではない」ということも
ありうるのである。
本人が治療を必要とせず、
周囲にも危害を及ぼしていないのであれば、
それは「障害」ではないのである。
その状態が「障害」かどうかというのは
「異常かどうか」という価値判断ではなく、
「医学的治療を必要としているかどうか」という
ニーズの切実さで判断されるのだ。

■「性的指向同一性障害」はありうるか

同性愛が「障害」でも「病気」でもないのも
同じ理由による。
確かに同性愛者は社会的に少数であり、
社会にはまだまだ偏見が根強く残ってはいるが、
「医学的治療」を必要とするものではない。
また、
何が人の性的指向を決定し、
ある人を異性愛者にし、
ある人を同性愛者にするのかという「原因」も、
諸説あるが
決定的な学問的共通理解はまだ存在しない状態である。
したがって当然、
性的指向を人為的に変更する決定的な手段も
見つかっていない。

したがって現状では、
同性愛はいかなる意味でも
「医学的治療」の対象にはなりえないのであり、
同性愛を「病気」や「障害」とする理由は
ないことになる。

もちろん、
同性愛者であることを理由とする
社会の差別や偏見に傷つけられる人は少なくない。
心に傷を負い、
精神科の門をたたく人もいるだろう。
しかしその場合は、
あくまで同性愛者であることを理由に受けた
「心の傷」を治療するのであり、
同性愛者であること自体を治療するわけではない。
(また、その手段もない)。

ただ、
「性同一性障害」との類比でいうならば、
こういうことは考えられないだろうか。

おそらく近い未来にはありえないだろうが、
遠い将来、
人の性的指向を決定するメカニズムが解明され、
それを人為的に変更する安全な手段が確立したとしよう。
その上で、
「自分は
 生物学的には異性愛者(あるいは同性愛者)であるが、
 本当はどうしても
 同性愛者(あるいは異性愛者)になりたいのだ」と
強く主張する人間が現れたとする。
その人は、
自分の生物学的な性的指向と理想の性的指向との
同一性の乖離に悩み、
苦しんでいる。
そしてそのとき、
医学的にこれを「治療」する手段が
確立されていたとすれば、
そのとき医学は、
その人を「性的指向同一性障害」と診断し、
「性的指向適合治療」を行なうべきであるだろうか。

異性愛者が
同性愛者にどうしてもなりたいのだという場合には
さして問題はないように思われる。
しかし、
その時代にも
同性愛者に対する差別・偏見が残っていた場合、
そうした差別・偏見から逃れる手段として
当事者がこうした治療を強いられるということは
ありえないことではない。
本来
同性愛者が同性愛者として
尊重されるべきであるにもかかわらず、
「治療を受ければ治るのに、
 あいつらは好きでやってるんだから
 同情に値しない」と
筋違いな批判を生む危険性もある。

しかし一方で、
社会的にそうした立場にいない人間の側が、
「それは差別・偏見に負けることだ。
 同性愛者としての誇りを持って闘え、がんばれ」と
押し付けることもまた傲慢というものであろう。
「安全な治療を受けるだけで
 そうした苦しみから解放されるにもかかわらず、
 どうしてあなたに
 そんなことを言われなければいけないんだ」
と言われてしまえば返す言葉はない。

もちろん、
これはあくまで空想未来小説風の妄想なのだが、
風間さんと話をしていてふとそんなことを考えた。


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by imadegawatuusin | 2012-12-25 21:44 | 差別問題

――講師はEsamanさん――
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名古屋ふれあいユニオン運営委員で
アイヌ民族活動家のEsamanさんが
6月24日に、
名古屋市昭和区の日本聖公会マタイ教会で開催された
公開講座・
「『先住民族』って何?―アイヌについて学ぼう―」で
講師を務めた。

Esamanさんは
親が北海道から出稼ぎで「内地」に出てきた
アイヌであったといい、
その人と「和人」(いわゆる「日本民族」)との間に
生まれた。
親が「和人になろうとしたアイヌ」であった
Esamanさんは、
アイヌ文化やアイヌ語を
独学で勉強せざるをえなかったという。

Esamanさんはまず、
「先住民族」という言葉についての説明から
講座をはじめた。
「アイヌが先住民族であると言うと、
 『日本人も昔から日本に住んでいたんだから
  日本の先住民族だ』と言い出す人が
 時々います。
 しかし、
 『先住民族』という言葉は、
 単に『昔から住んでいた』ということを
 意味する言葉ではありません」。
Esamanさんによると先住民族とは、
近代にいわゆる「国民国家」が成立した際、
自らの民族の利益を代表する国家を持つことができず、
他民族主導の国家に組み込まれた民族のことを
指すというのだ。

アイヌ民族は
日本が近代化する明治期に
「和人」主導の日本国に組み入れられた歴史を持つ。
学校教育も自らの言語で行なうことができず、
アイヌの子供たちは
日本の言語・日本の歴史・日本の文化を
教育されていったのである。

そうした際に、
一生懸命努力に努力を重ね、
「立派な日本人」になろうとしたアイヌも
少なからずいた。
日清・日露戦争などで
「日本人」に負けず天皇陛下のために武勲を挙げた
アイヌもいた。
だが、
日本語を覚えても、
日本文化にとけ込んでも、
大日本帝国に貢献しても、
アイヌ民族に対する「和人」からの差別が
解消することはなかった。
また、
川で鮭を捕ったり山で山菜を採ったりする生活を
突然禁止されて
「文明的」な生活を強制されたアイヌの中には、
それについていけない人たちも少なくなかった。

そして、
こうした現象はアイヌ民族だけに起こったことではなく、
「文明化」された近代国家に勝手に組み入れられた
様々な民族に共通して見出せる現象なのだ。
そうした民族を表す概念として、
「先住民族」という言葉が使われるようになったのだと
Esamanさんは説明した。

「たとえば、
 日本の学校教育では歴史の時間に
 卑弥呼とか紫式部とかを
 『私たちの先祖』ということで教えますよね。
 紫式部はともかく、
 卑弥呼なんか今の日本人とどうつながっているのか
 実のところよく分からないわけですけど、
 とにかくそういう『歴史』を学校教育では共有します。
 ところが、
 私たちアイヌはそうした歴史を共有できないのです。
 今でこそ歴史の教科書に
 シャクシャイン
 (「和人」に対抗して反乱を起こしたアイヌの英雄)も
 出てくるようになりましたが、
 私たちのころはありませんでした。
 それが、
 先住民族であるということです」。

日本政府は2008年、
ようやくアイヌ民族が先住民族であることを認めた。
アイヌ民族の経済的水準や進学水準は
「和人」と比べて格差が大きく、
アイヌ語を解する人間はごく少数になっている。
結婚に際しての差別もなくなっていない。
先住民族であることを認めたということは、
本当は、
日本国が
アイヌ民族をこうした状態においてきた責任を自覚し、
是正に向けた何らかの措置を取る責任が
課せられたということを意味する。

ところがEsamanさんによると、
アイヌ民族に対する生活向上のための施策は
先住民族認定とは全く関係なく行なわれており、
しかも北海道でしか講じられていないというのだ。
Esamanさんの親のように、
「出稼ぎ」のために「内地」に移住せざるをえなかった
アイヌも少なからずいたというのに……。

筆者自身、
Esamanさんに会うまでは、
日本国内の先住民族問題には
非常に疎かったのが実情だ。
だが、
筆者がEsamanさんに会うまでにも、
Esamanさんの親のように
「和人になろうとした」アイヌ民族や、
「あえてアイヌだと言わなかっただけ」の友人・知人も
いなかったとは限らない。

そうした意味では
アイヌ民族の子供たちに対する教育だけではなく、
いやそれ以上に、
「和人」の子供たちに対する教育も
今後は問題にしていかなければならないのではないか。
この国が決して、
いわゆる「日本民族」だけのものではないという
当たり前の事実を、
当たり前のこととして受け止めるために、
有意義な公開講座だったと思う。

by imadegawatuusin | 2011-07-06 22:16 | 差別問題

(2009年12月発行の『リンクニュースレター』No.63より転載します)

文部科学省が本年7月に発表した
「日本語指導が必要な外国人児童生徒」に関する
調査結果によると、
当該外国人児童生徒数は
前年度比12%増の28,575人で
過去最高となった。
在籍校では
小・中・高等・中等教育・特別支援学校など
すべての学校において増加している
(大阪府は生徒数で全国5位
 (1,819人:前年度比38%))。
2002年度以降、
生徒数は増加の一途である。

そんな状況の中、
大阪市内の公立中学校で
タイ国籍女生徒の編入を拒否するに等しい
信じられない事件が起きた。

この生徒はタイの小学校を卒業し
5月半ばに来日、
保護者は6月1日に中学校を訪れ
1学年への編入を申し入れた。
普通なら1週間程度で編入となるのだが、
学校側が返事を先送りしたため
1ヶ月の間自宅待機を余儀なくされた。
6月中旬にも
再度編入希望を伝えていたが、
学校側は手続きに必要な入学申請書を
渡していなかった。

大阪市教育委員会の指導により
6月下旬に申請書が渡され、
ようやくオリエンテーションという形で
生徒が初登校できたのは
7月1日。

その後も二週間近くクラスが決まらず
各教室を回っての「授業見学」や
会議室で一人弁当を食べるなどの
日々が続いた。

こんな事態になった大きな原因は
一部教諭(2名)の強硬な受け入れ反対にあった。
その言動は拒否に終始する。
曰く
「条件が整わない限り受け入れられない」
「小学校には行かせられないか」
「学区外の他校で引き受けられないのか」
「私に死ねというのか」等々、
もう論外、言語道断である。

外国籍生徒の編入希望があった場合、
ほとんどの学校、教諭たちは
まず受け入れありき、
それからどう対処するのかを協議し、
模索しながらも指導体制を整え
生徒にとっての最善を考慮し
対応していっている。
真逆だ。

さらに、
「タイ人は偽造パスポートなどで出稼ぎに来て
 不法滞在も多い」
「感染症は大丈夫なのか。
 調べたのか」など
偏見に満ちた言動もおこなっている。

また、
親切に声をかけた日本人生徒を
怒鳴ったりしている。
これでは仲良くしたいと思っている
他の生徒も萎縮して声をかけられない。
孤立させようとしているのではないかともとれる
行動だ。
このような人物が
教育現場にいていいのか?と思う。

学校管理職の責任も大きい。
拒否する教諭と
受け入れを求める大阪市教委との板挟みになったまま
前述したように入学申請書を渡さず、
この状態をさらに長びかせることになった。
明らかに指導力不足である。
大阪市教委の責任も小さくはない。
さらにこの間
保護者に対してなんの説明もせず、
保護者はナゼこれほど時間がかかっているのかを
まったく知らなかった。

マスコミもこの事態を知ることとなり、
7月末新聞紙上で報道された。
新聞報道の数日後、
事態を知ったタイ王国大阪総領事館も
大阪市教育委員会に
説明を求めている。

それから2ヶ月後、
事情・事実関係を精査した大阪市教委は
この2名の教諭に対し、
「職務命令違反」による停職・減給の懲戒処分を
発表した。
これは
「管理職の言うことを聞かなかった」
ということである。

しかし、
本来この事件は
そこでとどまる話ではない。
その発言・行動は、
タイ国籍者や外国籍者に対する
明らかな偏見であり、
且つ児童の教育を受ける権利、
すなわち人権を侵害するものである。
日本が批准している
子供の権利条約を引き合いに出すまでもなく
全ての児童は
等しく教育を受ける権利を有している。
いかなる理由があろうとも
それを侵すことは許されることではない。

今後、
こういった再発防止と
生徒が安心して学べる環境作りに
どう取り組んでいくのか、
大阪市教育委員会の意見も
ぜひお聞きしたいものである。

今回のことについて生徒本人は
詳細を知らない。

13歳で初めて外国、
自分一人が言葉のわからない学校に入っていく不安は
いかばかりか
想像に難くない。
そんな彼女に対し1学年の女生徒たちや
他学年の教諭たちは
総じてウェルカム状態で、
中にはタイ語で挨拶をする教諭や生徒たちもいた。
緊張が徐々にほぐれていった
入学一週間目の彼女の作文に
「今、私は学校に行くのが
 とても楽しいです」と書かれていたのが
唯一の救いだった。
(報告・文責:木村雄二)

by imadegawatuusin | 2010-02-02 20:16 | 差別問題

女性から男性に性別を変更して結婚した夫が、
第三者の精子で妻との間にもうけた子を、
法務省が「遺伝的な父子関係がない」として
夫との子と認めない見解を示していた問題で、
法務大臣が1月12日、
現行の取り扱いを
見直す方針を表明した(朝日新聞1月13日)。

法務省は通常、
「妻が婚姻中に懐胎した子は、
夫の子と推定する」との民法722条をもとに、
「遺伝的な父子関係がない」場合も
「夫の子」として扱っている。
前夫と離婚する前に別の男性との間で妊娠し
子供が生まれた場合さえ、
法務省は
「前夫との子」としてしか受け付けないとの態度で臨み、
これを拒否した女性の子が無戸籍児となって
社会問題化しているほどなのだ。
また人工授精の場合には、
夫以外の精子で生まれた子供も
夫の同意があれば
嫡出子(夫の子)として扱われているという。
なぜ性別を変更して男性になった人の場合だけ
違う扱いをしなければならないのか。

法律的にも男性と認められて結婚し、
子供も生まれて新しい人生のスタートを切ろうとした夫を、
まるで「二流男性」のように扱おうとした法務省の見解は
差別的なものだった。

朝日新聞などの報道の直後に法務省は態度を改めた。
「報道の力」を強く感じた。(3月14日掲載)


【関連記事】
性別変更後も区別はおかしい
by imadegawatuusin | 2010-01-15 18:01 | 差別問題

女性から男性に性別を変更して結婚した夫が、
第三者の精子で妻との間にもうけた子を、
法務省が夫との子と認めない見解を示していることが
明らかになった(朝日新聞1月10日)。

法務省は、
「遺伝的な父子関係がない」と説明しているという。
しかし法務省はこれまで、
「妻が婚姻中に懐胎した子は、
 夫の子と推定する」との民法722条をもとに、
「遺伝的な父子関係がない」ことが明らかな場合も
「夫の子」として扱ってきた。
前夫と離婚する前に別の男性との間で妊娠し
子供が生まれた場合さえ、
法務省は
「前夫との子」としてしか受け付けないとの態度で臨み、
これを拒否した女性の子が無戸籍児となって
社会問題化しているほどなのだ。
また人工授精の場合には、
夫以外の精子で生まれた子供も
夫の同意があれば
嫡出子(夫の子)として扱われているという。
なぜ性別を変更して男性になった人の場合だけ
違う扱いをしているのか。

ようやく法律的にも男性と認められて結婚し、
子供も生まれて新しい人生のスタートを切ろうとした矢先に、
まるで「二流男性」扱いのような差別を受けた夫の無念は
いかばかりか。
男性と認めておきながら
通常の男性とは依然区別するやり方は
直ちに改めるべきだ。(3月14日掲載)


【関連記事】
「性変更者の子」問題、報道の力感じた
by imadegawatuusin | 2010-01-11 17:56 | 差別問題

――「性同一性障害者」に無用の躊躇を強いるな――

■性別の違う「替え玉投票」の想定など突飛
私たちの社会には、
生物学上の性別と自己意識上の性別との不一致に苦しむ
「性同一性障害者」が存在する。
その中には、
ホルモン療法などによって外見を自己意識上の性別に合わせ、
日々の生活を送っている人も少なくない。

先日、
田原市議会議員の選挙が行なわれ、
僕のもとにも選挙の投票券が送られてきた。
その投票券には有権者の男女の別が記されていた。
それは、
戸籍上の性別と生活上の性別とがごく自然に一致する人間の目には、
ごく普通の、
極めて些細な記載に映るかもしれない。

しかし例えば、
外見上女性に見える(戸籍上の)「男性」が
この投票権を受け取った場合、
投票券には「男性」と記載されているわけであるから、
非常に投票に行きづらくなる。
「もしかすると他人の投票券を不正行使していると
 勘違いされるのではないか」、
「投票所の入り口で、
 地域の人々も見ている中で、
 自分の戸籍上の性別とその外見とが異なっている理由を
 説明しなければならないのだろうか」などと悩み、
投票を躊躇する人も存在すると聞いている。
特定の立場の人々に参政を躊躇させうるようなやり方は、
選挙の公平性という観点から考えても、
極力避けるべきことである。

2003年の「性同一性障害者特例法」の公布によって、
「外性器の整形手術を受けていること」、
「結婚していないこと」、
「子がいないこと」など、
一定の要件を満たす「性同一性障害者」に対しては、
戸籍上の性別の変更が認められるようになった。
しかし言うまでもなく、
「性同一性障害者」の全てがこれらの要件を
完全に満たしているというわけではなく、
戸籍上の性別と生活上の性別とが一致しない人々は
今なお少なからず存在する。

そもそも、
「替え玉投票」の防止のためには、
生年月日の確認で充分である。
もし不審な点があった場合は、
身分証明書の提示を求めるなどの対処をすればよいだろう。
「替え玉投票」を企むものが、
あえて自分とは違う性別の人間に成りすまして投票したりするものだろうか。
立会人の記憶などにも残りやすく、
不正の発覚を容易にするだけであり、
極めて考えづらいことである。

選挙の公平性を確保し、
多様な民意を議会に反映させるためにも、
全ての有権者が投票に行きやすい環境を整えることが大切である。

僕は以上の観点から、
選挙における投票券には有権者の男女の別を記載しないこと、
また、
国や自治体において扱う他の公文書についても、
必要性の低い男女記載の削除を促進するのが望ましいと考える。

【関連記事】
「性同一性障害者法案」について
「性別の基準」
「性同一性障害者」とインターセックス
「性同一性障害」とカウンセリング
by imadegawatuusin | 2007-02-01 03:48 | 差別問題

――元患者を元暴力団員に例える――

■『熊本日日新聞』:一面で報道
2月6日の熊本県地方紙・『熊本日日新聞』に、
「宿泊拒否理由 
 アイスター秘書室長が元暴力団員に例え説明」と題する
以下の記事が掲載された。
ちなみに、
この記事に登場する
「大阪市在住の大学生の男性(20)」とは
僕のことだ。

  >宿泊拒否理由:
  >アイスター秘書室長が元暴力団員に例え説明
  >ーー抗議者にメールで「お客様が被害意識」ーー
  >
  >阿蘇郡南小国町の
  >「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」が
  >国立ハンセン病療養所・
  >菊池恵楓園(菊池郡合志町)入所者の宿泊を
  >拒否した問題で、
  >ホテルを経営する「アイスター」(東京)の秘書室長が
  >昨年十二月、
  >同社に抗議した支援者に対し、
  >入所者を元暴力団員に例えて
  >「他の宿泊客に被害者意識を持たせる」などと
  >宿泊拒否の理由を説明するメールを送っていたことが
  >五日、分かった。
  >
  >メールを受け取ったのは
  >大阪市在住の大学生の男性(20)。
  >同社の平田哲哉秘書室長が昨年十二月五日に送付した。
  >メールで、宿泊拒否について
  >「元暴力団の方たちであってもお断りしている。
  > 社会通念上、
  > 一般の方たちとの
  > 何らかのトラブルが起こる可能性がある場合、
  > 旅館業としてとるべき責任」と説明した。
  >この男性が
  >「例えが不適切」と返信すると、
  >平田室長が翌日メールを送り、
  >「そうは思わない」とした上で、
  >「元暴力団員となると、
  > 他の宿泊客には無言の威圧感と、
  > 危害を加えられるのではという恐怖心を感じさせる。
  > つまり被害者意識だ。
  > ハンセン施設の方々の宿泊に
  > その他のお客が感じるのは、
  > やはり、
  > 感染するのではないかという被害者意識だ」と
  >重ねて主張した。
  >
  >また、
  >県と熊本地検が処分を検討している
  >旅館業法違反容疑についても
  >「旅館業法は
  > 県側がアイスターを告発する際に持ち出した
  > 単なる武器。
  > 実際、
  > 法を確実に守って運営している旅館が
  > どれだけあるか疑問」としている。
  >
  >平田室長は、
  >今月五日の取材に対し、
  >「私がそう思ったから書いた。
  > 法務局の社内研修は受けたが、
  > (入所者から)病気がうつるかどうかは、
  > 今も分からない。
  > (元暴力団の例えが)常識外れと言うのならば、
  > 私に常識がないのだろう」と答えた。
  >
  >これに対し、
  >恵楓園入所者自治会の太田明会長は
  >「入所者が
  > 暴力団のような反社会的存在というのだろうか。
  > 人権意識が欠落した企業としか思えない」と話した。

■なぜ今これを明らかにしたか
僕の携帯電話に
株式会社アイスターの江口忠雄社長から
昨年12月5日に電話がかかってきたことは
既にこのホームページで取り上げた
(『裏主張』No.71
 「アイスター新社長から電話がかかってきた」を
 参照のこと)。
アイスターの平田哲哉秘書室長から
1通目の電子メールが届いたのは、
その日の午後7時22分のことだった。
僕は同日返信を送った。
すると翌12月6日午前9時22分、
平田秘書室長は2通目の電子メールを送信してきた。

こうして、
僕の手元には2通のメールが残された。
今回報道されたのは、
平田秘書室長から送られてきた
この2通のメールについてである。

これらのメールは、
平田秘書室長個人の「私見」であると断った上で
書かれている。
そして実際そのメールには、
平田秘書室長の家族に関することなど
プライバシーの領域に属することも含まれていた。

そして何より、
株式会社アイスターは12月19日に、
ようやく自らの誤りを認めて「謝罪」した
(『裏主張』No.73
 「アイスターがついに全面謝罪」を参照のこと)。
僕はこれを見て、
株式会社アイスターは心を入れ替え反省したのだと
信じたのである。
実際、
僕は『裏主張』No.71の中で次のように書いていた。

  >この文章(酒井注:=アイスターの「謝罪文」)を見て、
  >正直僕はジーンときてしまった。
  >「宿泊拒否はホテル業として
  > 当然の判断であった」などと
  >1ヶ月にわたって言い張ってきた企業が、
  >「ホテル業を営むものとしては、
  > 当然の事として、
  > ハンセン病の現状を正しく認識し、
  > 正しい判断が行えるように
  > 日ごろから従業員等の教育も
  > 徹底すべきで有ったと心から反省し」たと言っている。
  >そして、
  >「宿泊拒否に至った判断は間違いであったことを」認め、
  >「宿泊拒否は当然の判断であったと言う見解を……
  > 訂正し謝罪」した。
  >その上でアイスターは、
  >「二度とこのような非人道的な行為を繰り返さないよう、
  > 今後全社を挙げて努力して行く」こと・
  >「ハンセン病回復者の方々の人権擁護を行う啓蒙活動に
  > 微力ながら尽力」することを誓ったのだ。
  >……僕は、
  >アイスターの発表した今回の見解が
  >裏も表もない本心からのものであることを信じたい。
  >そして、
  >「今回の出来事を真摯に反省し、
  > 二度とこのような非人道的な行為を繰り返さないよう、
  > 今後全社を挙げて努力して行く」という言葉が
  >誠実に履行されることを願うばかりだ。
「彼らは心を入れ替え、
 反省したのだ。
 だから、
 平田秘書室長のあの暴言メールのことは
 水に流して忘れよう」。
僕はそう思っていた。
甘かった。
僕はやがて、
彼らの本質が「謝罪」後も
実は何も変わってはいなかったのだということを
思い知らされることになる。
今年1月29日、
株式会社アイスターの江口忠雄社長が県の事情聴取に対し、
「宿泊拒否は間違った判断だったが、
 自らに責任があるとは思わない。
 責任は県にある」と、
責任転嫁の発言を今なお繰り返していることが
明らかにされたのだ(共同通信)。

少なくとも僕がメールを受け取った12月5日の時点では、
彼らは「自らの責任」については認めていた(『裏主張』No.71)。
しかしついに株式会社アイスターは、
この件についての「自らの責任」そのものを
否定するまでに至ったのである。
「嵐」が過ぎ去り、
見方によっては、
彼らの開き直りはますます悪質化しているとさえ
言えるだろう。
そのような状況のもとで、
やはり僕は、
彼らの主張・行動の背景に
どういった思想があるのかを
明らかにしなければならない。
このメールは確かに「私見」を装ってはいるが、
平田秘書室長がこのメールを通して
会社の考えを事実上代弁しようとしていたことは
明らかである〔注1〕。
これを社会的に批判・検討してゆくことは
やはり必要なことだろう。
こうして僕は、
アイスターの平田哲哉秘書室長から
暴言メールを受け取った事実を明らかにすることに
決めたのだ。

それでは以下、
平田秘書室長から送られてきたメールの内容について
検討したい。

■ハンセン病回復者拒絶の論理
平田氏は1通目のメールで、
「ハンセン病元患者」を元暴力団員にたとえ、
宿泊拒否を正当化するという
信じがたい論理を展開した。
平田氏は次のように言う。

  >私どもはハンセン病元患者の方々の人権を護ると共に、
  >その他の方々の人権を護る義務をも負っています。
  >
  >つまり、
  >ハンセン病元患者の方々だから
  >お断りしたということではございません。
  >明らかにそれと分かる、
  >たとえば元暴力団の方たちであっても
  >お断りしている訳です。
  >それは、
  >社会通念上
  >一般のかたたちとの
  >何らかのトラブルがおこる可能性が有る場合、
  >旅館業としてとるべき責任でも有ると
  >言えるのではないでしょうか。
  >
  >もちろん元暴力団の方々であっても、
  >他のお客様の全員が十分に納得していただければ、
  >当ホテルとしては拒否する理由は何もない訳ですから、
  >お泊り頂きます。
  >ハンセン病元患者の方々でも、
  >その他のお客様が
  >みなさん納得していただけるのであれば、
  >我々は喜んで受け入れさせていただきます。

つまりこういうことである。
自分たちは決して、
「ハンセン病元患者の方々だから
 お断りした」というわけではない。
「社会通念上
 一般のかたたちとの何らかのトラブルが
 おこる可能性が有る場合」は、
「ハンセン病元患者」であろうと、
「元暴力団の方たち」であろうと、
等しく宿泊を「お断りし」ている。
そして、
そうすることこそが
「旅館業としてとるべき責任でも有る」。
もちろん、
「元暴力団の方々であ」ろうと
「ハンセン病元患者の方々」であろうと、
「他のお客様の全員が
 十分に納得していただけ」るのであれば、
「我々は喜んで受け入れさせていただきます」よ……と。

過去にたまたま
ハンセン病という病気を患った経験を持つ人々と、
暴力をふるって市民社会に害を与える反社会的集団に
自らの意思で加入した経歴を持つ人々とを
同列に論じ、
両者を等しく
「社会通念上
 一般のかたたちとの何らかのトラブルが
 おこる可能性が有る」存在ととして切り捨てるとは、
全くひどい話である。

僕はこの平田哲哉秘書室長の見解に対し、
返信の中で次のように忠告した。

  >平田さんは、
  >ハンセン病回復者の宿泊と同様に
  >「社会通念上
  > 一般のかたたちとの何らかのトラブルが
  > おこる可能性が有る場合」の例として
  >元暴力団員の宿泊を例えに使っていらっしゃいます。
  >しかし、
  >これは明らかに例え方が不適切です。

ところが平田氏はこれに対し、
2通目のメールの中で次のように開き直ってしまうのである。
  >私はそうは思いません。
  >……元暴力団員
  >(もちろん
  > 見るからにそうだと思われるような
  > 団体のことです)の方となると
  >他の宿泊客の方々には、
  >無言の威圧感と、
  >何らかの危害を加えられるのではないかと言う
  >恐怖心のようなものを
  >感じさせてしまうと思います。
  >
  >ハンセン施設の方々の宿泊に
  >その他のお客様方が感じるのは、
  >やはり感染するのではないか・・と言った
  >被害者意識です。
  >それは暴力を振るわれるのではないか、というのか
  >感染させられるのではないか、と言うかの違いで、
  >まさに私は
  >酒井さんがおっしゃるよりも
  >適切な例ではないかと思います。

ハンセン病は、
食事や入浴といった日常生活を通じて
感染するような病気ではない。
ましてや、
今回宿泊を予定していた人々は、
ハンセン病の『元患者』である。
そのような人々からハンセン病を
「感染させられるのではないか」などという考えは、
「被害者意識」というよりは、
むしろ「被害妄想」とでも
呼ぶべき類のものでしかないのである。

このような「被害妄想」を、
暴力をふるって市民社会に害を与える反社会的集団に
自らの意思で加入した経歴を持つ人々から
市民が感じる「威圧感」・「恐怖心」と同列に論じ、
ハンセン病回復者への宿泊拒否を正当化するとは
まったく許し難い言い分である。

■被害者への中傷も拒絶の論拠に
今回の事件では、
被害者である菊池恵楓園の側に
多くの誹謗・中傷が寄せられた。
平田氏はこれについて、
1通目のメールの中で、
まずは批判的な意見を口にする。

  >菊池恵楓園さまには心無い方たちから
  >100件もの非難や中傷が寄せられたと伺っています。
  >それらの内容も伺いましたが、
  >本当に人権を侵害と言うよりも
  >無視するような内容が多々ございました。

ところが、
宿泊拒否の正当性を主張する平田氏は、
この菊池恵楓園に寄せられた誹謗・中傷すら
自らの主張の「論拠」として利用するのだ。

  >これが日本の現実です。
  >私どもは決して
  >ハンセン病元患者の方々の人権を侵害する気など
  >毛頭ございません。
  >
  >……理想は理想として
  >私たちは現実にも
  >目をやらなければ成らないのではないでしょうか。
僕は何もアイスターに対して、
非現実的な理想論を
くどくどと説いているわけではない。
熊本県がハンセン病回復者を対象に行なっている
「ふるさと訪問事業」(旧称:里帰り事業)は
何も今年になって
突如として始められたというわけではないのだ。

去年11月19日の『熊本日日新聞』には、
次のような記事がある。

  >昨年、
  >宿泊を引き受けた天草郡天草町のホテルは
  >「拒否したホテルは
  > 『他の客の迷惑になる』と言っているようだが、
  > こちらでは宿泊客からの苦情は
  > 一切なかった。
  > 過剰反応ではないか」と話す

宿泊予定者が
明らかに伝染性疾病にかかっていると
認められる場合や
暴力団関係者である場合・
施設が満室である場合など、
旅館業法で認められた場合を除いて
ホテルは宿泊を拒否しない……。
他のホテルでは可能であった
そんな当たり前の事柄が
アイスターでは出来ない(=旅館業法が守れない)のだと
言うのであれば、
もはや熊本県知事から与えられた
旅館の営業許可を
返上するしかないのではないか。

国の定めた旅館業法に基づいて
熊本県知事から旅館営業を許可された、
言い換えれば
国民・県民の付託を受けて
ホテル業を営んでいる者が
その当然の義務を果たせないというのであれば、
プロの旅館営業者として
失格と見なされても仕方がない。

■宿泊に病歴告げる必要は無い
アイスターは盛んに、
宿泊予定者らがハンセン病の「元患者」であることを
熊本県が予約の時点で
ホテルに告げるべきであったと主張する。
では、
予約の時点で告げていれば、
彼らは一体どのような対応をとるつもりであったのだろうか。

平田秘書室長の1通目のメールには、
その答えがハッキリと記されている。

  >ハンセン病元患者の方々でも、
  >その他のお客様が
  >みなさん納得していただけるのであれば、
  >我々は喜んで受け入れさせていただきます。
  >
  >……今の日本の社会が
  >まだまだそのように
  >ハンセン病に対して理解されない現状を見れば、
  >当然県はそのことを一番良く知っているわけですから、
  >予約のときに私たちホテル側が、
  >他のお客様に連絡を取って
  >納得いただけるように
  >お話させていただく時間を
  >なぜとっていただけなかったのでしょうか。

何と平田秘書室長は、
宿泊予定者らがハンセン病の「元患者」だと
予約の時点で告げていれば、
「他のお客様に連絡を取って
 納得いただけるように
 お話させていただく」つもりだったというのである。
では、
万一「納得いただけ」なかった場合はどうなるのか。
「ハンセン病元患者の方々でも、
 その他のお客様が
 みなさん納得していただけるのであれば、
 我々は喜んで受け入れさせていただきます」とある以上、
やはり「受け入れ」ていただけないのだと
考えるのが妥当であろう。

彼らにとってハンセン病回復者は、
「他のお客様に
 ……納得いただけ」たときに、
はじめてホテルに泊まることが許される存在でしかない。

「今の日本の社会が
 まだまだそのように
 ハンセン病に対して理解されない現状を見れば、
 当然県はそのことを一番良く知っているわけですから、
 予約のときに」ホテル側に、
宿泊予定者らが
ハンセン病の「元患者」であるなどということを
告げられるはずがないのである。

■業法は『県側の単なる武器』か
1通目のメールを受けて僕は、
今回の宿泊拒否は旅館業法に違反しているのではないかと、
追及した。
すると平田秘書室長は、
2通目のメールの中で次のように書き、
「旅館業法」に違反していることを
公然と開き直ったのである。

  >旅館業法というのは
  >県側がアイスターを刑事告訴する際に持ち出した
  >いうなれば単なる武器のひとつです。
  >実際
  >旅館業法を確実に守って運営している旅館が
  >日本にどれだけあるのか・・疑問です。

「宿泊させる義務」を定めた旅館業法第5条は、
旅館事業が単なる営利事業ではなく、
公益性を伴った仕事であることを規定する、
いわば旅館業法の根幹とも言うべき条文である。
その条文を平田哲哉秘書室長は、
「県側がアイスターを刑事告訴する際に持ち出した
 いうなれば単なる武器のひとつ」であるとしか
見なすことが出来ない。
アイスターの旅館業者としての適格性そのものに
疑問を抱かせる回答といえよう。

■理解しないのは「一般人」か
平田氏は1通目のメールの中で
次のように述べていた。

  >残念ながら今の日本社会が
  >現実問題として
  >そのような認識の方が非常に少ないと言う事が、
  >今回の問題を引き起こしている訳です。
  >
  >……私どもは決してハンセン病元患者の方々の人権を
  >侵害する気など毛頭ございません。

自分たちは
「ハンセン病元患者の方々の人権を
 侵害する気など毛頭」無い。
しかし「残念ながら今の日本社会が
現実問題として
そのような認識の方
(酒井注:=
 「十分にハンセン病に関してご理解頂い」た方)が
非常に少ない」ので、
自分たちはこのような事件を
引き起こさざるをえなかったのだ……と、
平田氏は主張したのだ。

『自分たちは理解している。
 しかし、
 一般人はそうではない』。
平田氏のこの主張は、
2通目のメールにおいても一貫していた。
平田氏は2通目のメールの中で
次のように述べている。

  >何十年経っても人種差別が無くならない様に、
  >このわずか2年間で
  >ハンセン病に対する一般人の認識が
  >変わらないのを責めてみても
  >仕方のない事だと思います。
  >ですから、我々は
  >今回の件をきっかけに
  >もっとハンセン病元患者の方々が
  >広く一般に受け入れられるように
  >尽力していきたいと考えています。

「ハンセン病元患者の方々の人権を侵害する気など
 毛頭」無く、
しかも
「もっとハンセン病元患者の方々が
 広く一般に受け入れられるように
 尽力していきたいと考えてい」る
善良な「我々」。
そしてその周囲には、
「十分にハンセン病に関してご理解頂い」ておらず、
「ハンセン病に対する……認識が変わらない」
無知な「一般人」が居る。
「我々」はそうした「一般人」とは違うのだと主張し、
なおかつ
そうした『理解の十分でない一般人』の存在を根拠に
宿泊拒否を正当化する……。
これが、
平田氏からのメールに示された
基本的な「世界観」であるように僕には思えた。

ところが、である。
『熊本日日新聞』(2月6日)によると、
平田氏は2月5日、
取材に対して次のように答えたというのだ。

  >法務局の社内研修は受けたが、
  >(入所者から)病気がうつるかどうかは、
  >今も分からない

これを見るだけで明らかだ。
「十分にハンセン病に関してご理解頂い」ていないのは、
「一般人」でもなければ「日本社会」でもない。
まず誰よりも
「十分にハンセン病に関してご理解頂い」ていなかったのは、
当のアイスター秘書室長・平田哲哉氏その人だったのである。

〔注1〕株式会社アイスターの平田秘書室長と僕とは、
決して全くの私的な立場で
メールのやり取りをしたのではない
(そもそも僕と平田秘書室長とは
 全く何の面識も無い)。
その証拠に平田氏は、
僕の「忠告」に基づいて、
会社のホームページに
新しい文章を掲載するようなことまでやっている。

僕が平田氏の1通目のメールに返信を出した12月5日ごろ、
一部のマスコミは
「アイスターの江口社長が、
 『宿泊拒否は当然』とする見解は
 『言い過ぎだった』と認めた」という報道を行なっていた。
僕はこれに基づき、
1通目のメールへの返信の中で次のように書いたのだ。

  >さて、
  >アイスターのホームページには現在もなお、
  >12月1日の記者会見における江口社長の
  >(宿泊拒否は)『ホテル業として
  >当然の判断』という発言が
  >何の注釈もなしに載っております。
  >報道によりますと江口社長は、
  >この発言を
  >「言い過ぎだった」と認めておられるということです。
  >いつまでも「言いすぎだった」発言を撤回も訂正もせず、
  >注釈も入れずにホームページに載せ続けておりますと、
  >誤解の基ではないかと思います。
  >
  >なにとぞこの点につきまして善処していただきたく、
  >よろしくお願い申し上げます。

すると平田秘書室長は、
これに対して次のように回答してきた。

  >ご忠告ありがとうございます。
  >ただ、江口は
  >「言いすぎだった」とは一言も申しておりません。
  >
  >……ご忠告に従い、
  >弊社ホームページに
  >『一部報道で弊社社長 江口忠雄 が
  > (宿泊拒否は)「ホテル業として
  > 当然の判断」という発言を
  > 「言いすぎだった」と認めていると報じられましたが、
  > 江口はそのような事は一切申しておりません』と
  >掲載しようと思います。

そして実際、12月6日、
平田秘書室長が書いてよこしたこの文章と
全く同じ文章が、
株式会社アイスターのホームページに掲載されたのである。
(「酒井徹の今週の裏主張」No.80から
 加筆修正のうえで転載)

by imadegawatuusin | 2004-02-09 18:16 | 差別問題

『ロックンロール・ニューズメーカー』という雑誌を買ってきた。
2002年10月号だ。
ここに、
人気ヒップホップグループ・「キングギドラ」の
インタビューが載っている。
彼らのことは、
この「裏主張」で3週間前に取り上げたばかりだ。

『UNSTOPPABLE』という彼らのCDに収録された
『ドライブバイ』という曲の歌詞は、
はっきり言ってひどかった。

ニセもん野郎にホモ野郎 
一発で仕止める言葉のドライブバイ 
こいつやってもいいか 
奴の命奪ってもいいか


これが、この曲のサビの部分だ。
サビの部分だから、何度も繰り返されるのだ。
「ホモ野郎」を「ニセもん野郎」と同列視したあげくに、
「こいつやってもいいか 
 奴の命奪ってもいいか」などと殺人を煽り立てる、
こんな歌詞が何度も繰り返されるのだ。

それだけではない。
この歌はそのあと、

だってわかってやってんだろう 
そのオカマみたいな変なの 
だいたいわかる居そうなとこ 
いつでも行ける行こうかそこ 
おめえの連れたアバズレのレズに 
火の粉かけたくなきゃパッくれろMC 
どうしたビビったか 
ママの選んだパンツにチビッたか
(中略)死になクズが


と続く。

僕は、
この歌詞を見たとき、
はっきり言って途方にくれた。
言葉が何も出てこなかった。
そして、
このようなCDが
オリコンチャートで6位を獲得していると知ったとき、
寂しさと、悔しさと、
そのほかにもいろいろ、
言葉にできないような恐ろしい気持ちに包まれた。

けれど、
「言葉が出ない」・「言葉にできない」なんて、
そんな甘っちょろいことを言っていることはできないのだ。
言語に絶するこの曲に、
それでも僕は言葉でいどんでゆかなければならない。

もとより僕は、
言論の自由を重んじる。
当然、
「キングギドラ」のメンバーたちにも
言論の自由を認めなければならない。
彼らがこの曲を発表したことによって
法的に罰せられるような事態が起こることを
僕は断じて認めない。
だから、
国家権力の介入を期待することは許されない。

権力の介入を許せないなら、
個人的「肉体言語」で対決するか? 
けれど、
平和主義者の僕は、
暴力をふるうことも許せない。
そもそも、
それを実行するだけの体力も根性も持ち合わせていない。
第一、
「キングギドラ」のメンバーを殺しても、
結局は彼らを「言論弾圧と闘った英雄」に祭り上げてしまうだけだ。

だから、
僕に残された武器は、
言葉しかないのだ。
出てこない言葉を搾り出してでも、
僕は声を上げなければならない。
その、ようやく搾り出された言葉が、
『週刊金曜日』5月31日号に掲載された投書であり、
「今週の裏主張」に載せていただいた投稿だ。

同性愛者は信じられないほど弱い立場に立たされている。
もちろん、
いま日本には同性愛者差別のほかにもさまざまな差別が存在する。
在日外国人差別・少数民族差別・被差別部落の人たちに対する差別……。
これらはもちろん、
僕たちが全力を尽くして無くしていかなければならない不当な差別だ。

けれど、
これらの差別と同性愛者への差別とが決定的に違う点が
一つある。
在日外国人も、少数民族も、被差別部落民も、
そのお父さんやお母さん、
そして兄弟・親戚など、
近しいところに「同胞」がいる。
けれど同性愛者は違う。
よほどのことがない限り、
同性愛者のお父さんやお母さんは異性愛者だ。
兄弟、親戚にも同性愛者がいることはまれだろう。
彼らは、
世間の中で差別を受けるだけではない。
最後の最後に頼るべき家族の中にも、
彼らを理解するものがいないという悲劇が往々にして起こる。

僕は、そんな状況を変えたい。
同性愛者はからかわれ、
いじめられても当たり前だという世の中を変えていきたい。
男同士・女同士の恋人たちが、
東京ディズニーランドで堂々と手をつないでデートをするのが
当たり前になる世の中を創りたい。
その思いで、僕は「同性愛者解放」を叫ぶのだ。

しかし、
そんな声は、
「キングギドラ」のメンバーたちには
まったく届いていなかったようだ。
今日買ってきた『ロックンロール・ニューズメーカー』の中で、
「キングギドラ」のメンバーの一人、
「K DUB SHINE」氏は、
CDが発売停止に追い込まれたことについて次のように述べている。

どこがいけないんだろう?っていうのはいまだにあるよ。
普通の日常会話でしゃべってることを、
そのまま曲にするのがラップだからさ



「どこがいけないんだろう?」……って、
あなた、あの歌詞を見て、
それでもどこがいけないか分かりませんか? 

「普通の日常会話でしゃべってることを、
そのまま曲にするのがラップ」って、
つまりあなたは、
「ホモ野郎」をつかまえては、
「こいつやってもいいか」・「奴の命奪ってもいいか」などと
「日常」的に「会話」しているわけなんですね! 
よく分かりました。

CD発売元の親会社・(株)ソニー・ミュージックエンタテインメントによると、
あなた方は「反省し、深くお詫び申し上げ」ているというお話でしたが、
やっぱり反省なんかしていなかったのですね
(ソニーは、
 キングギドラ」が反省し、謝罪していることを
 「紛れもなく本物」であるとまで太鼓判を押していたはずなんですが)。
あの事件についての初めての公式コメントであるにもかかわらず、
「反省」という言葉も「お詫び」という言葉も、
インタビューを見る限り、
まったくどこにも見当たらないではありませんか。

とりあえず、
「どこがいけない」かについては、
「キングギドラのCD回収を振り返って」という原稿に
詳しく書いておきましたので、
お送りしたいとおもいます。
おそらく、
読んでいただけることはないと思いますが、
「K DUB SHINE」さんは

一般の人、
つまりゲイでもないし
ゲイを嫌いでもない普通の人に判断してもらいたい、
っていうのはあるよね。
そういう人がどう思ったか?っていうのは、
わかんないで終わってるから。
そこが、なんか煮え切らない


ともおっしゃってますので、
「ゲイでもないし
 ゲイを嫌いでもない普通の人」であるところの僕の意見を、
もしかしたら聞いてくれるかな、という希望を
少しは残しておきたいと思います
(でも、「一般の人」って何? 
 「普通の人」って何? 
 ゲイは「特殊」で「特別」な人なわけ? 
 ついでに言っとくと、
 まずはこの歌詞によって心を傷つけられた同性愛者の意見に
 しっかりと耳を傾けたうえで、
 自分で「判断」するのが筋だと思う。
 「ゲイでもないし
 ゲイを嫌いでもない普通の人」に決定権があり、
 当事者である「ゲイ」の意見はあまり重要でないかのようなこの発言には、
 やっぱり疑問を覚える)。

あといくつか、言わせてほしい。

たぶん回収騒ぎがなければもっと行ったと思うから、
全然不本意だよ。
セールス的にはいままでよりもいいのかもしれないけど、
あの登場の仕方だったら、
トップ10に何週も入るもんだと思うし、
ほんとにちゃんとヒットするべきだったと思うんだよね(「K DUB SHINE」氏)


たしかに、
回収騒動がなかったらトップ10に何週も入る勢いでした。
このような曲が我が国のオリコンで上位を占めてしまったことが、
僕もたいへん不本意です。

作ってる段階では、
いいか悪いかっていうのは、
たとえばオレらがまったく問題ないと思って出しても、
DefSTARからこれはダメだって言われることもあるわけで、
そこの判断は、
プロフェッショナルな人にまかせたいっていうのもあって。
(中略)単純に言葉狩り的な部分でダメならば、
それはもうしょうがないのかもしれないし(「ZEEBRA」氏)


おかしいですね。
「DefSTAR」さんのほうでは、
 この歌詞が「社内で問題になったが、
 本人たちが『差別するつもりで作ったのではない』と言っているので
 発売した」と言っているのですが……。
「DefSTAR」側の言い分を信じると、
「ダメ」かどうかの「判断」は皆さんがしたということになります。
皆さんの言い分を信じると、
「ダメ」かどうかの「判断」は
「プロフェッショナルな」「DefSTAR」の社員に
「まか」されたということになりますね。
どちらかが嘘をついているということでしょうか。

それから、
今回のこの件のことを言っているのかどうかはよくわかりませんが、
今回のこの事件は断じて「言葉狩り」ではありません。
あなた方は「ホモ野郎」を
「やってもいいか」・「命奪ってもいいか」と言ったのです。
これを、どのように「適切」な言葉に言い換えたとしても、
事態は何も変わりません。
一つ一つの言葉ではなく、
この歌全体に流れる同性愛者蔑視の思想そのものが問われているのです
(もちろん、
 いわゆる「言葉狩り」的な視点から見ても、
 とんでもない言葉があふれているのも事実ですが)。

とはいえまあ、
皆さんの主張の中で、
共感できる部分も一応挙げておきたいと思います。
皆さんはこのたび、
『911』というCDを発表なさったそうですね。
昨年9月11日の同時多発テロ事件などに対して、
音楽を通じて発言していこうという皆さんの姿勢は立派だと思いますよ。

ZEEBRA  
オレらは日本にいて
それを見て、っていうスタンスが基本なんだけど。
だからメディア批判みたいなことも言ったし、
どっち側でもないからこそ冷静に見えてる部分もあると思うし。
でも日本は、どっち側でもなくないでしょ?

インタビュアー 
自動的にアメリカ側に入っちゃいますね。

ZEEBRA   
そうでしょ?
自動的なのはなぜなんだ?って思うよね。

K DUB SHINE 
日本人も、
一般のレベルではもっといろんな意見があるはずなんだよ。
でもマスコミとかの論調がどうしてもアメリカ寄りだし。
政治的に仕方がないとは思うけど。
でもアメリカの報道よりは、
日本の報道のほうが中立だとは思うし。

ZEEBRA 
たとえば、ことイスラム教に関しては、
日本では認知度が低いと思うし、
イスラム教って聞いただけで
狂信者みたいに思われちゃいそうだけどさ


このあたりは、
なかなかいいところを突いていると思いますね。

では最後に、
ちょっとした話をご紹介して、
今回の文章を終えたいと思います。
「ZEEBRA」さんがおっしゃるように
「イスラム教って聞いただけで狂信者みたいに思われ」ていたのは、
何も現代の日本だけではありません。
中世のヨーロッパでもそうでした。
中世のキリスト教勢力は、
イスラム教を悪く見せるためなら何でもやったといっても過言ではないくらいです。
そしてこのとき、
イスラム教徒を悪く見せるために利用され、
とばっちりを受けたのが同性愛者だったのです。
たとえばこんな風に。

(マホメットは)自然の敵であり、
彼の民族の間にソドミー(酒井注―男性同性愛)という悪徳を
普及させた人である。
彼は男女両性と性的淫交に耽った(『オリエントの歴史』 ジャック=ド=ヴィトリ)


サラセン人の宗教(酒井注―イスラム教)によれば、
どんな性的行為でも何でも許されるのみならず、
是認され、承認される。
(中略)彼らはその身体を堕落させ、
人目にさらしている。
「男と男と恥ずべきことを行い」、
彼らは「己が身に」罪と過ちの報いを受け取る。
サラセン人は人間の尊厳を忘却して、
これらのオカマたちのもとへ自由に通い、
私たちの間で男と女が公然と一緒に暮らすように、
彼らと一緒に暮らしている(『サラセン人撲滅論』 アダのウィリアム)


つまり、
当時のイスラム教が、
キリスト教と比べると
一般的に同性愛者に寛大であったという素晴らしい事実を
逆手にとったうえに誇張して、
「イスラム教徒はけしからん。
 なぜなら、イスラム教徒は同性愛者だからだ」と、
むちゃくちゃな論理を展開してイスラム教徒を貶め、
返す刀で同性愛者を貶めているのです
(「同性愛はケシカラン」ということには、
 もはや「前提条件」として何の疑いも差し挟まず、
 論証しようとする努力すら見せようとしない横暴さに注目!)。

そして当時、
同性愛者に「寛大」であったイスラム教と、
「厳格」であったキリスト教、
どちらが「人道的」であったかは歴史が証明しています。
十字軍はエルサレムを占領したときに
大勢のイスラム教徒・ユダヤ教徒を虐殺しました。
そして、イスラム教徒がこれを奪還したときは、
捕虜にしたキリスト教徒をほとんど祖国に帰らせたと言われています。

同性愛者への偏見が、
同性愛者への偏見にとどまらず、
たとえばイスラム教徒への偏見を
助長する結果を生むこともあるのだということを、
イスラム教徒への偏見に憤りを表明される皆さんに
ぜひ知っていただきたいと思います。
『鈴木邦男をぶっ飛ばせ!』「酒井徹の今週の裏主張」No.5より転載)
by imadegawatuusin | 2002-09-23 05:40 | 差別問題